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さんまの会2



さんまの会設営場所は神奈川県中央部を流れる相模川支流の中津川中流域で、愛川町立田代運動公園の裏側に位置する広い河原である。
公園のトイレ水道が利用でき、川では水遊びや釣が楽しめ、周囲の環境は自然が豊富、しかも無料でオートキャンプができる貴重な場所である。それだけに、最近では春から秋の週末は大賑わいである。だが、11月ともなればさすがに宿泊キャンパーは少ないだろうと目論んだ。
さらに好都合なことに、遅れてくるS.K さんの職場からそう遠くはない。
集合時間は15:30 この時期はつるべ落とし、5時には暗闇となるので、設営時間の余裕はさほど多くない。暗闇での設営、調理はコリゴリだ。
(初めての野営顛末記)
湘南組の3人が先着し、八王子からの主催者も時間に遅れることなくやがて到着した。
案の定広い河原の人出は疎らで、10組程のキャンパーが設営していたが、そのうち数組は帰り支度を始めていた。
設営場所は自由に選べるので、我々は快適な場所を求めて偵察を開始しようとしたが、リーダーのK.OH さんが何故か動こうとしない。時間に余裕がないのにどうしたことか。
リーダーは一点を見つめていた。そこは十数人の集団が帰り支度の最中であった。リーダーはツット彼らに近寄り声をかけた。
「お帰りですか」
「ええ」
「どちらからお見えですか、気をつけてお帰りくださいね、私たちはこれからなんですよ、サンマのパーティです」
「え、サンマのパーティですか---?それはいいですね」作業の手を休めてリーダーらしき若い男性が答えた。
「ええ、旬のサンマのパーティです。究極のパーティです。ところで随分立派なカマドを作られたんですね」
我がリーダーは巧みに、そしてかなり露骨に本題へ誘導した。
彼らは軽量ブロックを大量に使用したカマドを取り壊し、そのブロックを積み上げて撤収作業の最中であった。
「ええ、このブロックは今日のバーベキュー用にわざわざ建材屋で買ってきたんですよ、でも持ち帰ってからどうしようかと思っていました、よかったら使ってくれませんか」
彼らはマナー良く全ての物を持ち帰るつもりでいたのだ。
「よろしいですか、ありがとうございます。後は僕らで片付けておきますから」得意げな笑顔は隠しようがないが、声は平静さを保ちながら落ち着いてリーダーが答えた。
こうして我々はここを設営場所に決定し、人柄の良い明るいセーネン男女先住民達を追い立て、手に入れた軽量ブロックによって素早くカマド・テーブル・イスを作成してしまった。
我がリーダーは実に目敏く、機敏なのである。我々は早速ビールを取り出して幸先良い出足に乾杯した。

さて本格的準備に取り掛かろう。まず、荷降ろしを始めるために車を移動し設営場所に横付けした。
リーダーの車が重たそうに車高が下がっているのに気が付いた。彼は何も云わずにトランクを開けた。中には材木の木っ端が溢れ出さんばかりに詰まっていた。
今回リーダーのK.OH さんの役割が空白であったのは、初めから薪の調達を自分の役割に決めていたのだ。
リーダーは"炭火で暖を取る"などどいったケチな考えは毛頭なかったのである。 大きな焚き火の炎に揺れながら、脂が滴る極上のサンマに喰らいつく我々の姿をイメージしていたのである。
そして、以前から彼の知り合いの木材業者に、薪に最適な大き目の木っ端を溜め込んでもらっていたのだ。
それにしても、薪代わりの木っ端は大変な量である。1mほどの井桁に組んだ薪3組分の量である。だが、炎に狂った我々は結局全て燃やしきってしまった。
次にテントを組み立てた。テントはK.OH さんと私ので2張用意したが、寝袋の用意がない2人は車でヒーターを掛けたまま寝ることになり、結局テントで寝るのは3人となり、K.OH さんのテント一組だけを組み立てることにした。
ハウス型ファミリーテントの大型である。今回も組み立てに多少手こずったが、テントの所有者であるリーダーが組み立てに参加しなかったので、さほど難儀しないで立ち上げることができた。
このテントは、どういうわけか所有者が参加すると上手く組み上がらない前歴がある。
そして、私は寄せ鍋の段取りに、リーダーはサンマの下ごしらえに、A.K さんはダイコンオロシ作りに、S.N さんが炭の火起こしに取り掛かった。
順調に準備は進み、何とか日暮れまでに間に合いそうだ。だが、火が起きない。火起こし担当のS.N さんはアウトドアーに関しては、何をやってもダメなのであった。

いつのまにか辺りは闇に包まれていた。数組がこの河原で宿泊する様子であったが、我々の周囲には他にテントはない。炭はようやく全員の献身的努力の甲斐があって、赤々と燃えてきた。既に薪にも火が入れられている。 携帯電話の連絡により、遅れてくるS.K さんも炭を手に入れた上、十数分で到着の予定である。カマドには大きな網が置かれ、ヤカンがのせられ熱燗の準備も整った。幸せな気分が漂ってきた。
照明はキャンドルランタン2基、そして焚き火と炭火の明かりである。空には満天の星といきたいが、残念なことに雲が多いようである。
隣の運動公園ではナイター照明がともり草野球の熱戦が始まっていた。ナイターゲームの照明と声援は我々キャンプファイアーの雰囲気を壊すことなく、何故かむしろ盛り立ててくれる気分にさえさせてくれた。
サンマは2匹が塩焼き用に、残る1匹は三枚に卸され野菜やキノコと一緒にアルミホイル焼として下こしらえが終わっている。 野外料理の料理長を自認するリーダーは、塩焼き以外にもサンマ料理を予定して一人4匹を要求したようだ。それにしても一人4匹では多すぎる、アルミホイル焼きも一人分1匹では多すぎた。

魚のアルミホイル焼きは本来白身魚が合う。サンマでは少々しつこい。だが不思議なことに美味であった。料理長の腕のせいか?
サンマの塩焼き一匹目は塩辛のようになってしまった。そして炭火のパワーは絶大で少々焼き過ぎた。だが不思議なことに美味であった。これも料理長の腕のせいか?それとも雰囲気と空腹のなせる技か?
寄せ鍋は文句のつけようがない味である。具は、鶏肉・カキ・トウフ・ハクサイ・ネギ・ダイコン・シイタケ・エノキ・イトコンニャクだ。だし汁は醤油ベースに秘伝の味付け、作者自慢の鍋である。
ハシ休めには枝豆を用意しておいた。こうしたツマミも野外宴会では重要な役割を果たす。

既に全員そろっていた。
第1回目の熱燗五合紙パックがたちまち空になった。不吉な予感がした私は、明朝用にカンビール3本を急ぎ隠し確保した。

通常の屋内での宴会で消費する我々の酒量は一人平均4合である。その後2次会に行ったとしても、せいぜい水割り2~3杯といったところ。こうして今回の酒類の量を割り出した。
しかし、野外の宴会では酒の消費量が格段に増えるのである。このことを計算しなかった。宴会開始早々から、私は酒が不足する気配を感じたのである。
5合紙パックの日本酒は、最後の4本目に至ってようやく落ち着いたペースになった。
この間、皆、普段に比べて寡黙である。焚き火のせいである。焚き火は人を寡黙にさせる力を持つ。 黙々と2匹目のサンマに喰らいつき、ようやく皆饒舌になってきた。
日本酒が品切れとなり、ウィスキーを開ける。そろそろ、手前勝手な主張を各人が繰り返し、まとまりがつかなくなっている。皆、酔ってきたのだ。こうなると度の強いウィスキーも薄めない生で平気である。
薪がどんどんくべられて火が大きくなる。完全に酔っ払い集団が出来上がった。わけの解らぬ会話が終わり、伴奏なしの歌が始まった。演歌と1960年代のグループサウンズである。その辺の物をやたらに敲いてリズムをとる。 段々と大声になる。ついには力の限り最大の音量を張り上げて、歌っているのか怒鳴っているのか区別がつかなくなった。
酔っ払い集団がいつのまにか狂気の集団と化していた。
そして、ついに酒が切れた。
「おい!酒をだせ!」とS.N さんが叫ぶ。
「酒の係りはだれだ!早く酒を用意しろ!」酒の調達係りは実は当の本人である。
「幹事、酒は一人に付き一升を用意するように!」と、収まりそうにない。
「幹事は誰だ!責任者は前へ出なさい!」リーダーまでが一緒になって騒ぎ出す始末である。
私はあわてて、寄せ鍋の残りスープに水・ダシを加え、キシメン三玉を煮込み、出来上がるまでの間を持たすために、隠し置いたカンビールを出さざるを得なかった。

いつのまにかナイター照明は消え、辺りは完全な暗闇になっていた。時折川の対岸道路を通過する車両の音以外に聞こえるのは川の瀬音だけである。
その静寂の中で、我々の騒ぎは異状であったろう。あのまま騒ぎ続けていたら、不安を覚えた他のキャンパーから警察に通報されていたであろう。
酒が切れてよかったのだ。
寄せ鍋の残り汁で煮込んだキシメンは最高の味がした。キシメンを啜り、皆急におとなしくなった。
熱いキシメンの効果は抜群だった。
残り火の安全を確認してそれぞれ黙々と寝床についた。時間ははっきりしないが、10時頃でなかったか。こうしてサンマの会の幕が閉じた。

テントで寝た私は、夜が明ける前に隣で寝ていた友に起こされた。自分の顔を見てもらいたい、と彼は云う。私は懐中電灯を照らして見た。 彼の顔はパンパンに膨れ上がっていた。まるで別人のように膨れあがっていた。
この騒ぎでもう一人が起きてきた。迷惑そうで眠たそうなその顔が、膨れ上がった彼の顔を覗き見て、一瞬の後、噴出しそうになった。ずいぶん薄情な友人である。
当人は鏡がないので自分の顔を見ることができないが、感触で異状を感じていたのだ。不安のまま夜明け近くまで我慢していたのだ。
彼は自分の気持ちを落ち着かせるためにタバコを吸った。私には腹を膨らませたトラフグがタバコをくわえているように見えた。私は不安を覚えた。
私は夜が明けるやいなや全員を起こした。我々はその後朝食もそこそこに、直ぐに撤収し、早々と引き上げることにした。
ところで、我々の日頃の活動について、それぞれの奥方様たちの評価は、以前から必ずしも芳しいものではない。
まして、意味不明なサンマの会から戻った夫が、パンパンに腫れ上がった顔に変わり果てていた姿を見て、彼の奥方様の我々に対する感情は最悪になったことを、私は確信した。
       
2004/11 記

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