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丹沢 藤熊川諸戸付近  2002.08.02


 毎年8月の第一土曜日は厚木市鮎祭りのメインイベントとして、相模川で花火大会が盛大に催されている。
2002年、平成14年は、8月2日がこの日に当たり、たまたまこの日は茅ヶ崎のサザン海岸、小田原の酒匂川下流でも花火大会が開催されることになっていた。
そこで、これらを一度に見物できたら面白かろう、と企画したのが大山山頂で飲みながら花火見物をし、そのままその場で寝てしまおう、というものであった。
もとより丹沢山域は指定地を除いてキャンプ禁止であることは承知しているので、あくまで花火見物をした後、暗闇を酔っての下山は危険すぎるので、そのまま仮寝をするということで、従ってテントは簡易なものを用意し、様々なキャンプ用品は持参しない計画であった。真夏のこの時期は寝袋などもかえってジャマである。海抜1200mの山頂は、充分な酒類と、つまみと、少々の水があれば、暑苦しい下界よりも快適のはずであった。
つまみは調理済みの物を用意し、山頂での調理は行わない方針であった。普通に見かける山頂で休憩食事し、昼寝するのと大差ないように、体裁を整えようと目論んだのである。
 さて、ヤビツ峠で待ち合わせした4人は16:00の約束時間には遅れることもなく、それぞれの車を運転して参集した。全員そろったところで、一応装備を確認することにした。
実は、以前から我々の登山は、共通食料や装備についての分担を、事前打ち合わせしたためしがないのである。
事前打ち合わせ会は行うが、単なる飲み会に終わり、肝心なことは打ち合わせしないのが常であった。 
不思議なことに、酒類だけは不足した経験がない。が、調理した汁物を盛る器がなかったり、肝心のハシを忘れていたり、コンロのボンベがなかったり、と自慢できない経験も多い。
今回は逆であった。
つまり、大型テントをはじめとして、キャンプ用品が勢ぞろいしたのである。山頂での焼肉の段取りも準備されていたのである。大家族キャンプ用の二口バーナーの本格レンジ、大型鉄板に大型網。
結局は4人で、水4Lを含め分担し担ぎ揚げるハメになってしまった。背に担ぎ、両手にぶら下げるだけでは足りずに、首からも荷を吊り下げて登ることになった。
ここで、テントのことに触れておく。私は2人用の軽量ドームテントでターフを省略したものを用意していた。仲間の一人も同様のテントを所持しているのは承知していたので、当然彼もそれを準備するものと思い込んでいて、例によって確認を怠っていたのである。4.5畳の広さがあり、中で人が立てるハウス型大型ファミリーテントを用意するとは、想像のはるか外であった。
さて、ヤビツ峠から大山山頂は通い慣れた、1時間ほどの楽な行程である。通常であれば!
出発して5分ほどのところに山小屋がある。この日は間の悪いことに、ここの前庭で10人ほどのグループが宴会をしていたのである。
我々は何事もないかのように、ひたすらに通り過ぎたが、我々の異様な装備を、疑いの目つきで、彼らの視線が追いかけてきたのであった。
我々は山頂にたどり着いたであろうか?
否、途中から仰ぎ見た山頂は雲の中に隠れていたので、全員一致で早々断念したのである。
再び宴会中のグループの脇を抜け、彼らの軽蔑したような目付きを無視し、
峠に帰り着き、装備を1台の車に乗せ直し、
下流のキャンプ場へ行き着いたものの混雑しているとのことで断られ、
次のキャンプ場も断られ、ノドがカラカラとなり
BEERが飲みたい一心で野営を決意したのである。
しかし、例の大型テントを立ち上げることができないのであった。
ボーイスカートの指導員経験者でもあるアウトドァー派の彼がテントを組み上げることが出来ないのである。
結局、既に真っ暗闇の中、僅かな明かりを頼りに、テントの所有者でない私を含む2人が2時間かけて組み上げ、 彼は焼肉などの野外料理の段取りに、ヘッドランプだけの手探りで状態で取り掛かったのであった。
こうして、夜が更けていった。
 教訓の多すぎる山温会初めての野営であった。

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