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立 山 連 峰 縦 走 (2) 




こじんまりした山小屋【内蔵助山荘】、この日食事は三回分け、混雑するも一人寝具一組でした。

富士ノ折立からの下りはガレ場の急降下、難所である。トレースがつかずに道がないも同様で、視界が悪い日など内蔵助カール側へ引かれやすく、要注意区間だった。
真砂岳へは緩やかな登り、その登り際に雷鳥沢へ下る分岐があった。大走道である。
真砂岳山頂分岐から右折する。既に4時を大分過ぎている、小屋が近いことは確信していたものの少し焦りを覚えた頃、赤い屋根が見えた。
我々が到着した際には小屋前のベンチはほとんど埋まり、既に宴会が始まっていた。
部屋割は玄関脇の1号室、この部屋の寝場所も残すところ我々2人分のみ。満室なのだろう。 少し遅れて5~6人のグループが到着したところで受付は閉められてしまった。

夜明け前の山々、後立山針ノ木岳方面

部屋は二段のカイコ棚方式。7.5畳ほどに一段4人の定員8人、寝具を敷くと隙間はなくなり、荷物は廊下の棚に置く。
外に出て、テーブル付きのベンチに空きはなく、どうにか4人掛けベンチに陣取ってビールで乾杯。
susumさんが担ぎあげたキリンラガーカンビール5本、そしてテルモスに入れた氷。気圧差と揺すられてきたことでビールは泡だらけ。その上氷。泡が吹き上げる。こぼれる前にグイグイ飲む。
つまみはこれまたsusumさんが担ぎあげた富山の名産、黒づくりとカマボコ。美味しいです。
我々は到着が遅かったにかかわらず夕食は1回目、単独者や少数パーテイを1回目に集めたようだ。5時過ぎにもう呼ばれあわただしい。
アジフライ・野菜テンプラ・シイタケ野菜の煮物・ナメコ汁。美味しい。 30~40分くらいは食事時間があるかなと思いきや、皆さん立ち食いソバのように終えてしまい、我々だけ居座るわけにもいかずに、大変あわただしい食事となった。
しばらく外で飲み直したものの寒いし、susumさんが頭痛を覚えたようで早めに寝てしまった。

鹿島槍の右から陽が昇る。5:10、前日は雲が多く心配したが、素晴らしい景色です。

翌朝私は4時に起き出して外に出た。富山市街地の明かりが見える。空には星の瞬きが見えるヶ所あり。山影は青黒く連なり、地平線には一筋の黄線が出現していた。
大変寒い。ご来光は十分に期待できることを確認して、寝床に戻って少し待機した。山小屋は未だに寝静まっている。

朝日に輝く別山

4時半を過ぎると廊下がガサガサしだし、たちまち小屋全体が目覚めてしまう。起き出したsusumさんと上着を羽織りカメラを持って外へ出た。裏手の展望地には既に数人が待ち構えていた。
後立山連峰稜線の上空が朱に染まり、鹿島槍の稜線が輝いてきた。だが太陽が顔を出すまで、これからが結構長いのだった。一段と冷え込んでくる。真冬並み寒さ。
ご来光の余韻も冷めやらぬ間に朝食のコール。夕食と同じく我々は1回目、5時半だった。朝食も美味しい。
周囲の客に尋ねたところ、これから五色・大日・剱などを目指すパーティはなく、みな下山するとのことである。天候の悪化が予想されていることもあるのだろう。 我々の隣席は夕食時と同じ配置で、若いカップル、岩手からきた年配夫婦、若い単独山ガールといった顔ぶれ。いかにもたくましい山男・山女が見当たらなかったことは幸いでした。

後立山連峰、左から白馬三山~唐松岳~五竜岳~鹿島槍(右尖角の頭峰)

小屋のトイレは洋式のバイオトイレで、使いやすい。私は和式トイレは苦手であります。
6時半出立。
数組が同時刻に出立し、それ以降相前後しながらの下山となった。真砂岳の山頂は巻き、主登山道と合流す。
別山の肩の部分から山頂をショートカットする巻き道があるが、susumさん、今日も先行し迷うことなく別山山頂へ向かっている。山頂直下の詰めは急登で息が切れた。

別山へ。たおやかな尾根道から詰めは急登となる。酸素不足、ハーハーハーハー。

剱岳は日本を代表する岩の殿堂。別山はその剱岳の展望台。素晴らしい。
先着していたデカザックの単独登山者に剱岳を背景に写真撮影を頼まれ、ついでに話を伺う。
「今朝剱岳を往復し、先ほど此処に到着したところです」と云う。まだ8時前である。いったい剱山頂までどのくらいで行ったのか尋ねると、
「3時間半ほどで往復しました、もちろん身軽で行きました。山頂に他の登山者はなくよかったですよ」今後の予定を尋ねると、
「これから五色ヶ原に行きます、その後薬師へ足を延ばす予定でしたが天気がどうですか、五色から引き返すかも分かりません」、山では時々超人的登山者と出会います。

別山乗越しへ(剱御前小屋)、後方の山は大日岳、私は嘗て縦走している。雄大な景色。

剱御前小屋からは雷鳥沢の急斜面をジグザグに下る。高低差500mの長い下り。剱沢でテン泊する若者たちが重装備で次々と登ってくる。30~40kgはありそうな荷を背負って。 下を向いて汗ダラダラ、一歩一歩踏みしめて。女子といえども容赦なく。私には背負って立ちあがることなど不可能な重さだろう。
長い下りはヒザにくる。でも彼らを見ていると疲れたなどとは云えません。
キャンプ場に降り立ち冷たい湧水を飲み一息ついた。だが室堂バスターミナルへの登り返し、1時間ほどの最後の行程、これが本当につらいのだった。

剱を背に今回パーティ二人、合わせて136才。山ガールに負けじと頑張りました。


室堂の周りはお花畑です。花の名前は知りません。


私は二日目途中でバテてしまい、高峰の縦走はこれで最後にしようと、その時は思いました。
衰えは現実に確実にやってきてます。
でも帰宅後数日が過ぎ振り返ると、楽しかった・素晴らしかった、まだいける、次は何処にしよう、などと思い直すのでした。
susumさんには大変お世話になりました。私が足を引っ張ってしまいました。これに懲りずにまたご一緒させてください。

前ページ立山連峰縦走(1)へ戻る  2015/9/16 掲載

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