立山三山縦走;二日目
3時半起床、息子を起こし4時出立、いつの間にか星明りが消えて雲が多いようだ。真っ暗闇の中、懐中電灯を頼りに雄山を目指す。
朝食は、弁当にしてもらい昨晩受け取っている。
いきなり急登となる。
既に数組先発していたことが心強い。上部に点々と微かな明りが移動する。我々の後方からは僅か1~2組の光跡が後を追う。
我々を除く全ての光跡は、冷たく青白いダイオードの光である。こちらは10年以上も前から使用しているNATIONAL製のヘッドランプ、そして息子は手持ちの懐中電灯、いずれも暖かい光だ。
10分ほど経過し、息子の明りが風前の灯火となった。新しい電池を使用するよう注意しておいたのだが。暗闇となった息子は私の後ろをピタリとマークして登ってくる。
いち早く先行した、6歳の女の子をザイルで繋いで登っている父親に追いついた。
その後もいつのまにか数組抜いてしまい、恐れていた先頭に押し出されてしまった。最先端を登っていた単独男性が立ち止り、我々に“お先にどうぞ”と声を掛けてきたのだ。
ありがたくもない譲り合いの精神である。仕方なく先頭を登る。
山頂直下の急斜面となる。ようやく明りなしでも薄っすらと足元が確認できるようになってきた。
マーク戦法の息子が突然マクリ戦法に変身し、先行していた私を差し切り、先にゴールしてしまった。
山頂は薄暗くガスが濃い。急激に冷え込んでくる。社務所の寒暖計は8度を指していた。装備不足で上着を用意していない息子は、ふるえて社務所の室内に逃げ込む。が、直ぐに出てきた。
日の出を見逃すわけにはいかないとのことだ。
神官が起きてきて、支度を始めた。入場料を徴収し、本宮が鎮座する3003mの絶頂で、登山客にお祓いをするのだ。
輪郭が崩れぼんやりとした太陽が突然モヤの中に現れた。三脚にカメラを据えて待ち構えていた私は拍子抜けした。
それでも神官数人・巫女二人・登山客数人が太陽に向かって手を合わせている。
突然にガスが切れた。
目の前に信じ難い光景が広がった。
朝日で朱色に染まる雲海に、後立山連峰の高峰全山の頭部が浮かび輝いたのだ。
白馬から槍穂高に至るまで、点々と浮かぶわが国を代表する数々の山々。雄山山頂は大騒ぎとなっていた。喚声とともにアッチコチでシャッターが切られる音。それもつかの間、数十秒でたちまち視界は白く閉ざされた。
待つこと数分、再び一瞬にしてガスが切れた。つい先ほどの光景が再現した。だが微妙に光線の射角が変わり、朱色から黄色が強くなった色彩に変化していた。夜明けの山の表情は刻一刻と変化するのだった。
私も含めて数人が薬師岳を見渡す方向に移動した。が、再度白闇に包まれる。そのまま数分待つ。
たちまちガスが切れた。どっしりとした薬師岳の頭部が朝日を浴びて黄金に染まり、その手前ザラ峠付近から湧き出た雲海が龍王岳の山腹を絡め、カールの急傾斜に沿って滝のように落ちていく。
雲は朝日を浴びて輝き、飛沫をあげた大瀑布のように落下していく。ザザーッと轟音が聞こえてくる気がした。
見慣れているはずの巫女さんから思わず感嘆の声が飛んだ。
山頂に居合わせた私たちは、この世の景色とは思えない、立山浄土を目の当たりに体験したのだった。
立山連峰稜線を振り返る
雄山から富士の折立までの稜線は鋭く痩せた岩稜で、登山道は稜線を避けて西側を巻く。それでも踏み外すとただでは済まない切り立った岩場なので慎重に辿った。
登山道は大汝山山頂を巻いてしまうので、分岐に荷を降ろして山頂を踏んだ。本コースの最高点3015mである。太陽が高くなるに連れて晴れ渡り、大展望が待っていた。
もう白闇に包まれる心配がないので、落ち着いて地図を取り出し、主だった山の山座同定を行なった。
眼下に大観峰のロープゥエーが見え、そのさらに下に細長く黒部湖が眺められる。
大汝の休憩所で朝食を取る。6時を少し廻っていた。順調な時間だ。
息子が寒がるので、宿の弁当は後回しにして、カップめんを作った。此処は3000mの高所のために、90度位で沸騰してしまうのだろう、下界のようには上手くいかないが、それでも食べれないことはない。
富士の折立からは真砂への鞍部へ急降下する。その後登山道は北アルプス的ガレた岩場から穏やかな道に変わった。辺りはお花畑である。
たくさんの登山者とすれ違う。剱の帰りだろうか、大荷物を背負ったグループとも出合った。好天気のせいだろうか、皆一様に元気が良い
別山への登りが苦しい。空気が薄いので疲労が早いのだ。こうなると歳の差が出てしまう。若い者には勝てない。
別山山頂は剱岳の展望台、双眼鏡を取り出しつくづくと眺めた。たくさんの登山者が岩に貼り付いているのが見える。
私にはカニのタテバイ・ヨコバイでなく、カニの腹バイに思えた。
私には剱岳は眺めるだけで充分だった。
剱御前小屋は交通の要所、登山客が大勢休憩していた。
高年夫婦と話しを交わす。我々の逆コースで一の越へ行くとのこと、我々が暁に一の越を出て、もう(9:00)此処に到達していることに驚いていた。
若い外人パーティも数組見かけた。
らいちょう沢への長い下り、高低差600mほどある。ここを登ってくる剱周辺の岩壁が目的のクライマーは、気の毒で見てられない。
登攀用具・キャンプ用具・食料を詰めた大重量のザックを背負い、全身汗まみれになりヨロケながら上がってくる。挨拶を交わすことさえ憚れた。
下りきったテント場で弁当を食べた。ここの水も大変冷たい。弁当を食べ終え、登山終了した気分となって、地獄谷へ廻った。
「火山性有毒ガスが発生し危険につき、指定通路を外れないように」との注意書きが目立つ。
しかし、ガスは風向き次第で指定通路だろうと何処だろうと、容赦なく襲ってくるので、通路を外さなければ安全だ、という思いは錯覚である。
げに、我々は二人は硫化ガスに巻かれてしまい、死に物狂いで逃げるハメになった。肺が破裂しそうになった。息子のことなど眼中になかった。息子も親のことなど眼中になく懸命に逃げたようである。息子はしばらく咳き込んでいた。
ここ地獄谷の有毒ガスをけっして甘く見てはならない。
しかし、本当の地獄はこの先にあった。みくりが池への、つらいつらい登り階段が待ち構えていたのだ。既に登山は終了した、との気の弛みが苦しみを倍増させた。
ここで立山地獄を味わった。
みくりが池温泉立ち寄り入浴は、料金600円と案外手頃である。日に焼けた手が沁みて湯に浸けることが出来ない。仕方ないので幽霊のように手を上げて浸かった。
ここは備え付けの石鹸を使えるので、登山者は汗を流すのに都合が良い。イオウの強い湯は疲労回復に効能があった。実感した。なかなかいい湯であった。
室堂バスターミナルへ12:00少し過ぎた時間に戻った。14:00発富山駅直行バスまでに大分時間があったので、私はビールを飲みながら屋上でブラブラしていた。
息子はひっくり返り寝ていた。
我が立山禅定は終わった。幕が引かれたように立山山頂は既に雲で覆われていた。 2005/8 記
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