深夜から早朝は冷え込んだもののよく寝ることができ、4時前に目を覚まして外へ出てた。星は既に消えていたが街の明かりはうっすらと輝いていた。太陽は長沢脊稜の上に出た。 おぼろ月夜のような太陽で、濃いダイダイ色、しかも楕円形だ。デジカメの液晶には表示されないほどの淡い輝きである。眩しい日の出は多く見てきたが、ボンヤリした日の出は珍しい。なかなか情緒的ではある。 小屋に戻り、ソッと荷物を外のベンチへ運び出す。皆よく寝ているので、支度は外ですることにした。私は早立ちしなければならず、挨拶を省略させてもらうつもりだ。 支度を終えて再度山頂に登り別れを惜しむ。本日も好天気だが遠方の視界はスッキリしない。小屋を過ぎると皆起き出していて、盛んにカメラを山々に向けていた。 私は黙って立ち去ることが心残りだったが、同宿者に挨拶することができホッとした。二人の世界に閉じこもっていたカップルの女の子が笑顔で手を振り送ってくれた。 4時40分出発。 三条ダルミまでは急な下りである。三条ダルミは三条ノ湯方面との分岐となっていて、本日のコースで唯一ベンチが設置され、富士山の眺めがよい場所だ。飛竜へは直線方向へ進む。 これから先は初めての長い長いマイナールート、心細さがフト湧き起る。でも思いのほか体調は良く、心配な膝痛の兆候は今のところない。 登山道は明瞭で、朝日に輝く美しい樹林の中を一人歩くのは悪くない。先ほどの心細さは直ぐに消えた。この辺りの道はあくまで穏やかなのだった。 狼平は小広く開け、苔むした場所。同名の地名は大菩薩の石丸峠付近にもある。やはり開けた穏やかな場所だ。狼は奥多摩・秩父地方では古来身近な動物だったのだろうか? 私は出発前に昨日頂いた副食と熱いミルクティで腹ごしらえしておいたのだが、早くも空腹を覚えてしまい、ここでお粥を温めて食す。 塩気のないお粥は味気がないもので、今やお荷物となってしまったカップメンの粉末スープで味付けすることを思いついた。たちまち中華風お粥の出来上がりだ。 紅茶を飲もうとして、サイドポケットに入れたはずのペットポトルが消えていることに気がついた。まだ300ccは残っていたのに、それでなくとも飲料不足なのに、これは痛い。 イヤそれより山にゴミを残してしまったことがなお痛い。荷造りはもっと慎重にやらなければだめだ! 三ツ山の登りとなる。三ツ山の山頂付近は険しい岩稜である。道はピークの崖下を巻くように切られている。だがこの登りから登山道の勾配は急に増す。それまでの平和だった道が、喘ぎながらの厳しい道に取って代わった。 高く険しいピークを越して、さらに前方にやや小さな岩のピークがあった。道は分岐し、一方はそのピークを乗り越える方向に切られていた。私は迷いながらもそちらを選んだ。 もう一方は、右方向に辿る道で、つい先ほど通り過ぎた三ツ山の山頂を目指すルートであろう、と判断したのだ。地図での確認を怠ったのが間違いだった。 ひとしきりの急登で着いた岩峰の狭い山頂は確かに人が訪れている気配は濃い。なかなかの展望でもある。そして感動したことは、足下の岩には可憐な山の花、イワカガミが群生していたことだ。 ピークを越したその先は、今までにない急峻な山腹を直線的に下るルートが認められた。私は木につかまりながらそこを下ってしまう。直に枝葉が両脇から迫り、とても登山道とは思えない獣道となり、その先は獣の踏み跡さえガケ下に消えてしまった。 降り始めて僅かに4~5分のことだ。私は直ちに引き返す。後に地図で確認すると、そのまま強引に下っていたなら三条沢の最も急峻な源流部へ迷い込み、危険な状況となっていに違いない。 ところで、元の分岐まで登り返すのは容易でなく、体力的にも精神的にも相当なダメージを受けた。時間も20分以上はロスしてしまった。 気を取り直して出発だ。ありがたいことに、この先北天ノタルまで比較的平坦な道となる。三ツ岩手前では南側が開け、点々と咲くミツバツツジ越しに見る広大な幾重にも連なる奥多摩の山々が慰めてくれた。 三ツ岩を巻くと北天ノタル、三条ノ湯方面への分岐点である。北天とは北側に天高く聳える、つまり飛竜山を指すものだろう。タルとはたるみ(弛み)が省略されたのだろう、鞍部を指す言葉だ。北に聳える高峰のたるみをホクテンノタルとはなかなか軽妙な呼び名である。 なお、飛竜山2077mは山梨側【丹波】の呼び名で、埼玉側【秩父】では大洞山と呼ぶ。埼玉側から到達するにはあまりに深山幽谷に過ぎて、秩父の山里からこの山は馴染みが薄かったに違いない。大洞山は、秩父湖へ注ぐ渓谷本流の大洞川から単純にその名を取ったようだ。 現在もなお埼玉側から飛竜山頂を目指す登山道は開かれていない。もっとも、地形図の名称は大洞山と記されていて、飛竜山はカッコ書きである。 その北天ノタルから先しばらくは急峻な山腹に設置された桟橋を数多く渡る。桟橋がないと通過に危険な場所である。鉄骨構造で安心感のある造りだ。重い材料を担ぎあげ作業した人たちのご苦労を偲び、自然と頭が下がった。 この付近一帯はシャクナゲの宝庫で、ちょうど花盛りだった。飛竜の植生は雲取山域とは大分変化し、豊かな樹木によって大自然に抱かれている感をより強くする。 ウェストポーチにランニングシューズの身軽な男性がアスリートのように駆け抜けていく。いったい何所から来て何処へ行くのか?彼が飛竜縦走路で初めて会った登山者だった。深山では時折仙人顔負けの超人と出会うことがあるのだ。 飛竜山頂へは直登する近道があるはずだが、私はその入口を見落としてしまい、一般登山道をそのまま飛竜権現へ出てしまった。そこは奥秩父主脈縦走路への分岐点である。そこから飛竜山頂往復は空荷で行くとしても、自分の状態では30分以上見込まねばならない。 失敗や疲労によるロスタイムを加えて、予定時間を1時間以上超えてしまう。このままだと帰路の貴重なバスに乗り遅れる危険が高い。私は山頂をパスすることにした。 タイムオーバー、どうせ山頂は展望がないなどの理由はともかく、疲れて気力を欠いたことが真の原因である。次いで絶景と云われる禿岩への立ち寄りも省略した。軟弱な決断だ。だが、その後の行程に充分なゆとりが生まれた。 私は前飛竜の登りにかかっていた。前飛竜の前後はなかなか険しい道だ。 私は長い道のりと疲れを紛らわすために、NHKラジオをイヤオーンで聞きながら歩いていた。8時43分突然番組が中断し、チャラーン・チャラーンと尻上りのかん高い電子音が2回響き、一瞬音声が途切れた。私の反応は自分でも驚くほど速かった。 緊急地震速報だ。周囲を確認した。だがそこは険しい山腹、落石から身を守る術はない。次いで自分自身が揺れで落下しないよう木に掴まり身体を確保する。あとは運に任せる。僅か数秒のことだ。 すぐに岩手・宮城・山形・青森・福島各県に警戒を呼び掛ける放送が入る。被災地にはまことに申し訳ないことでありますが、いっぺんに力が抜けてホッとした。【大きな被害を出した岩手・宮城内陸地震~震度6であった】 緊急地震速報とは、大きな揺れ(主要動=S波)が到達する前に伝播速度の速い揺れ(縦波=P波)をキャッチして、いち早く警報配信する仕組みで、震源地から距離があればあるほど、十数秒から1~2分前に大地震の到来を、予期できるシステムである。 新幹線はこの信号を受けると自動的に急ブレーキが作動するなど、各方面に応用されだしている。 私は登山中に緊急地震速報を聞いた数少ない経験者になるだろう。たとえ、なす術がない状況であっても、いきなり大揺れに見舞われるよりよほどマシに思われた。その警報によって、落石・落下・地滑りを回避できればさらに云うことはない。 前飛竜のピークは三ケ所あって、私にはどこが山頂か判断できなかった。そのうち最南端のピークは岩場で大変展望の良い場所である。水分補給し小休止した。 熊倉山への登りはそれほど急ではないのだが今の自分にはきつい。 “地震で被害を受けた方々のご苦労に比べればこんな程度できついなどと云ってられない”自分自身に言い聞かせた。その被害状況の把握は、ラジオでは遅々として進まない。 熊倉山は特徴もない山頂だが、ようやく先が見えはじめ、時間的にも余裕ができたので、残しておいた果物ぜゼリーを食し、水分補給した。節約に努めてきた水もなんとか足りそうだ。 この休憩で幾分回復した私は、サヲラ峠へ快調に下り、余裕はさらに増す。あとは丹波へ下る一方の1時間余り。だが、安心しきった私は緊張がゆるみ、30分もヘタリこんでしまう。 サヲラ峠は現地標記ではサヲウラ峠と云い、地図ではサオラ峠、漢字では竿裏峠と記す。平坦な峠で、右折するとこれから辿る丹波山村(タバヤマ)の集落へ下る道、左折すると三条の湯への巻き道で、直進するのが天平(デンデーロ)という奇妙な名がつけられた尾根道である。 この天平尾根から青梅街道へ下山できるのだが、距離はかなり延びる。 サヲラ峠で休憩中に二組の登山パーティとすれ違い、それぞれ三条の湯に泊るとのこどだった。 急な山腹をジグザグと下り、民家が下方に見え隠れすると、道はシカ除けの柵を潜り畑にでる。この辺りの畑は石ころだらけで、そこにジャガイモ・ネギ・エンドウマメなどが植わっている。石ころを除いてもきりがないのだろう。 道は畑を何箇所か通り過ぎ、やがて車道に出、バス停へと導かれた。丹波のバス停は屋根つきの休憩舎を兼ねた造りで、トイレもある。私は鼻が効き、ザックを降ろしてそのまま奥多摩方向へ150mも歩くと案の定、酒屋があった。 バスの時間まで30分ある。カンビールとワンカップを購入し、一人乾杯した。 バスは私一人を乗せて定刻に発車、日帰り入浴施設があるバス停で数人が乗ってきた。三条の湯の入口となる、お祭りバス停で女性3人パーティが乗車し、後方に乗車していた私の後ろに座る。私と前後する年代のようだ。 聞くところによると、その内1人はもともと単独で、昨夜雲取山荘で知り合ったばかりと云う。とてもそうは見えなかった。山で知り合うと不思議な効果があるようだ。すぐに何年来の友のようにうちとける。私もおしゃべりに加わって60分が瞬く間、奥多摩駅に到着した。 駅で女性3人と分かれて、ホリデー快速に乗る。ヤレヤレ、新宿まで一眠りだ。ところが聞き覚えのある声がして、空いていた私の隣席を争うように、たちまち3人が並んでお座りになったのだった。 2008.06.30 掲載 |