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雲取~飛竜縦走2 


飛竜への縦走路からの眺め、満開のミツバツツジと三頭山を中心に山・やま・山

堂所(ドウドコロ)と呼ばれる峠状の場所から傾斜は増し、道は天然樹林に囲まれて山深い雰囲気が濃くなる。ハルセミが盛んに鳴いていた。傾斜が増すに連れて私のペースは極端にダウンする。
堂所近辺で昼食休憩していた年配夫婦連れを一旦は抜き返したものの、再び抜かれてしまった。そしてご婦人二人にも先に行ってもらうことになった。 同じバスを降りた15人ほどのハイカーの中では、とうとう自分がしんがりを務めることになってしまった。それもいいさ、競争しているわけではないのだから。
七ツ石山頂を避けブナ坂へ出る巻き道ルートの分岐に着いた。私は躊躇なく巻き道を選ぶ。何故って、七ツ石山よりよほど高い雲取山頂で今夜は泊るのだもの。1757mの七ツ石ごときピークは無視だ! このショートカットによって先行者何人かの前に出るのは確実だ。どうだマイッタカ!
巻き道に入ると直ぐに水場がある。水の補給はできるだけ先でしたい。なぜなら重くなるから。 まてよ、あてにしている奥多摩小屋の水場が近いとは限らない、考え直して500ccほど消費していた水を補給しておいた。これで水は1.5Lポリマンタンとなる。
このブナ坂ルートは巻き道のお手本です、林相の美しい平坦な実にいい道だ。20分ほどの水平歩行は疲れた足を大分癒してくれた。
やがて石尾根と合流する。石尾根は奥多摩の幹線道路、ジープが走れるほどの道幅があり、傾斜も緩い。おのずとのんびりとした気分が湧く。
何組かのハイカーとすれ違った。今時分すれ違うということは、三条の湯方面から山頂を踏んできた登山者だろうか?振り返ると七ツ石山から降りてくるご婦人二人が小さく認められた。

ヘリポートを過ぎると奥多摩小屋である。廃屋のように荒れた感じがする、素泊まりのみの小屋である。入口は閉ざされていた。水場まで5分下るとある。往復十数分は今の自分にはきつい、やはりブナ坂の水場で補充しておいてよかった。
ベンチに腰掛けて休憩する。登山道に入って初めてのベンチだ。奥多摩一帯には必要以上の案内標識は設置されていない。まして休憩施設など皆無なのだ。その貴重なベンチからは富士山から大菩薩連嶺にかけての眺めがすこぶる良い。
「ああら、いつ先回りしました?、空を駆けてきましたか、私たちはちゃんと山頂を踏んできましたよ」
「驚かしてやろうと思いましてね、ショートカットしました。ところで正面の山並は大菩薩ですよね」
「富士の左、尖った山は“鴈が腹擦り”富士の山腹に重なる小さな山が“滝子山”手前の長い尾根が“牛ノ寝”山並のピークが“大菩薩嶺”ね」
「この辺は全部歩いたわね、奈良倉から大マテイの紅葉が素晴らしかったね」
私は大菩薩から小金沢連嶺を単独で縦走したことを自慢しようと思ったのだが、その考えを捨てた。
お姉さま2人は私の両脇に立ち、四周の山座同定に余念がない。
雲取~飛竜のコースについて、彼女らはかつて、丹波に降りずにさらに奥秩父縦走路に足を伸ばし、将監峠から一の瀬へ下り、タクシーを呼んで塩山へ出たと云う。 私のいいかげんな頭内地図を追うだけでも、その健脚ぶりには驚かされた。私ごときにはとても太刀打ちできないのだった。
三人連れ立って出発し、小屋の先は巻き道を行く。おしゃべりしながらの楽しいひと時、だが直ぐに小雲取への急勾配となる。私はたちまち置き去りにされてしまった。

足を一歩一歩迫り上げるようにしてようやく辿り着いた山頂小屋、前回訪れたのは10年前だが案外覚えていて懐かしい。まず扉を開けて中を窺う。誰もいない代わりにザックが棚に2つ、床に1つ置いてあった。 まずもって、今夜はゆっくりできそうで安堵した。
私はザックを自分の寝床スペースに置いて身軽となり、カメラだけ持って山頂へ行く。山頂は小屋から1分の距離である。
山頂では今夜同宿する人たちとお目見えすると思い込んでいたが、それらしき人は見当たらなかった。その代わりに
「いつの間に山頂に着きましたか、上から手を振っていたのに気がつきませんでしたか!」
お姉さま2人は山頂で自分の到着を待っていてくれた。他に女性三人グループが新たに加わり、まるで旧知の間柄のようにお姉さまたちと一体化していた。皆山荘泊の人たちだ。
「皆さん、こんにちは、三条方面からですか? 姉さんたち、ごめんね、せっかく手を振って下さったのに見落としてしまい。なにせ老眼がひどいもので」
実は老眼は案外遠目が効く。私は疲れ切っていたので下ばかり向いていて、山頂のお姉さん方が手を振っていたことに気がつかなかったのだ。
「長沢脊稜が無理っぽいのは分かりました。そんなにお疲れなら一緒に山荘に泊ってビールでも飲みながらゆっくりしたらどうです」
「そうですよ、みんなで山の話をしましょうよ!」
下界の自分にはありえないモテ方だった。山荘に行けば男性宿泊者も多いだろうに。ところが翌日出合った泊り客から聞いた情報によると、この日の雲取山荘の宿泊客は20人ほどで、夫婦連れを除けば女性パーティばかりだったとのことである。くわばらくわばら。
別れ際に姉さんたちそれぞれからタイヤキとドラヤキを戴いた。私の当初計画で朝食に用意したのはカップメンだが、水の予備に不安を覚えた私は、水の消費が多いカップメンは見送ることに決めた矢先のことで、その代りの副食としてこれらは大変ありがたかった。
名残惜しいけどお互いの健闘を祈って、“サヨウナラ気をつけてね” “本当にありがとう”- - -

  
世話になった山頂避難小屋         13kgを詰め込んだオスプレー50L


一旦小屋に戻り、マット・寝袋をセットし夕食の食材・飲み物類を改めてザックに収納した。山頂で食事するためだ。支度を終えてしばらく外で景色を眺めていると、30代の青年が身軽に上がってきた。
「こんにちは、今日は小屋でお泊りですか、私も泊めていただいていいですか」
好青年だ。
「私も今晩ここでやっかいになります、楽しくやりましょう」
青年はバイクで林道最上流まで走り、どうやら富田新道を登ってきたようだ。私もバイクが得意なら、ツーリングと登山を組み合わせたらずいぶん行動が広がるだろうな、などと憬れていた思いがある。
「ハハハ、バイクといってもゲンチャリです、家が八王子ですから50ccでも奥多摩なら結構いろいろ行けますよ」
ますます好ましい青年である。
「山頂には水がないのですねぇ、手持ちでは足らないので先ほど山荘へ行き、仕入れてきました」
「山荘にはここで泊る若いカップルも飲み物を仕入れに来ていましたよ」
これで避難小屋に置いてあったザックの持ち主全員が判明した。自分を入れて今夜は4人のようだ。大分スペースに余裕がある。私はカンビールと日本酒500ccを担いできたが、山荘で購入する手があったようだ。 それにしても雲取山荘まで往復小一時間はかかるだろう。どちらが楽かは微妙な差ではある。
やがて若いカップルも戻って、各々山頂で夕食を取る。お互いの干渉は避けて、それぞれの思いに浸る夕暮れ時である。私は明日の行程である飛竜の稜線を飽くなく眺め、刻一刻と表情を変える雄姿に見惚れながら、一人お酒を飲み続けた。
寝る体制となった小屋では支度もしないで若いカップルがモジモジしている。青年が気が付いて、寝床を私の脇に移してきた。部屋の中ほどに敷居ののような壁があって、カップルにはその奥を使用してもらうことにしたのだ。
「ごめん、早く気付けばよかったのにね」青年がひょうきんに云った。
「そのようですね」私が相槌を打った。
深夜に小用足しに外へ出た私は、まっ先に街の夜景に魅せられた。山頂に泊まった者の特典である。次の瞬間にたちまちシカの集団に取り囲まれて恐怖を覚えたが、それ以上は近づいてこないようだ。私は一呼吸おいて空を見上げ、星空のあまりの美しさに驚愕したのだった。

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