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奈良散策  2018/10/29〜30


古都奈良の世界遺産巡りです。文化の日前後は普段は公開していない宝物類が特別公開されることが多い期間です。ほどんどの場合別料金を徴収されますが。
ちょうど正倉院展が奈良国立博物館で開催中でしたが、朝から長蛇の列で1時間以上並ぶことは必至、拝観はあきらめました。
拝観料はなかなかの負担です、二日間で一人約5000円かかりました。
初日の西ノ京は比較的静かでした、二日目の奈良公園周囲は朝のうちが修学旅行生の団体、10時過ぎると観光客が湧き出てきて大賑わいです。 半数以上は外人さん、中国語・韓国語・英語の順ですね。 昼食で立ち寄った中華料理店でも客の半数は外人さん、ヨーロッパ・米国系のグループも多く、お箸をちゃんと使用していました。
昼食は並ばないとなかなかありつけません。
奈良は中学修学旅行を含めて三度め、40年ぶりくらいでしょうか、初めて同然ですね。

行 程

初日;京都駅8時着〜東寺〜東寺駅=(近鉄)=西ノ京駅〜薬師寺〜唐招提寺
=(バス)=15:30JR奈良駅直結日航ホテル着
二日目;ホテル8時半出発=(バス)=大仏殿〜二月堂〜若草山〜春日大社〜興福寺〜13:20近鉄奈良駅



京都東寺に立ち寄り

東寺の象徴、五重塔は寛永年間5度目の再建が現在の姿で国宝。ほかに伽藍では金堂・太子堂が国宝。
仏像は金堂の薬師三尊が有名だがほかにも金堂・講堂内に国宝多数。 あまりに数が多いので見るのも雑になりがちだが、十二神将の一体だけとってもすごい迫力である。
宝物館が秋季特別公開中だったが先の行程が長く、省略した。
真言宗総本山、世界文化遺産、東海道新幹線で京都を通るたびに五重塔が目に入り気になっていた寺社である。
今回やっと訪れることが出来ました。近鉄東寺駅から西ノ京へ向かう。





薬師寺

飛鳥の地より平城遷都とともにこの地に移された薬師寺、当時国内屈指の規模を誇った大伽藍は度重なる災害・戦火で焼失してしまう。
失われた伽藍の復興は薬師寺の一大悲願として引き継がれ、昭和42年より現在に至るまで再建が続いている。
従って建物群は比較的新しく、ピカピカの竜宮城のような金堂に収まる薬師三尊にチグハグさを覚えた。
特筆すべきは玄奘三蔵院(ゲンショウサンゾウイン)の平山郁夫画伯が30年の歳月をかけて完成させた壁画の大作で、10面ほどの大きな壁にシルクロードが描かれていて、見る者を圧倒する。
通年公開されているわけではないので、訪れる際はぜひ公開の有無を確認されたい。





唐招提寺

言わずもがな、鑑真和尚の創建である。
航海に危険が伴うこの時代に鑑真の徳が日本に伝わり、遣唐使が招聘に出向いたこと自体驚きである。
鑑真和尚は唐招提寺を開く前5年ほど東大寺で過ごしている。また鑑真和尚像は現存する最古の肖像と云われ国宝だが、普段は公開されていない。我々が参拝できるのはそのレプリカである。 御廟は境内にある。
薬師寺から唐招提寺まで小道を10分程歩く。土産物屋や食堂は少なく、西ノ京の風情タップリ。
昼時で腹が減った我らはソバ屋しか選択の余地なく、店のおばさん愛想は良かったが味は今一だった。
南大門から境内に入ると、煌びやかな薬師寺に比して荘厳な趣に落ち着く。古都散策に相応しい寺院である。
金堂・講堂ともに国宝。金堂の本尊「廬舎那仏」をはじめとして国宝の仏像がズラリ居並ぶさまは壮観である。






東大寺大仏殿

最初の大仏殿は758年(天平宝字2年)に完成したがその後焼失。鎌倉期に再建されたがこれも戦火で焼失、 現存の建物は公慶上人(コウケイショウニン)の勧進活動により1691年に完成したもので横幅は当初の2/3の大きさ。
これより900年も前に現在の1.5倍もの建物が造られたことは驚きである。木造建築としては当時世界最大。
その後明治〜昭和にかけて補強修復工事が行われて現在の姿は昭和55年落慶したものである。国宝。
数多くの大寺院が各時代を経て再建されて来たことで技術が伝承がされたのだろう。費用も莫大、日本の宗教文化は大したものである。
鎮座する廬舎那仏は国内最大座像だが、大仏殿のスケールに驚嘆させられた後で、大きさを感じさせない。
堂内の仏像は撮影が可能だが、何百年も世を見つめてきた仏像は人々を圧倒するオーラを発し、正面からの写真撮影は憚られる尊厳さがある。







二月堂

二月堂は東大寺伽藍の一つだが、大仏殿から少し歩く。それだけ東大寺は境内が広い。
二月堂と云えばお水取り、3月12日(もとは陰暦2月12日)の深夜から明け方にかけて堂前の井戸で香水(こうずい)を汲み、 本堂内陣に運ぶ儀式がある。二月堂の由来である。その水を飲めば万病が治るといわれる。

実際は水の行事と云うよりは我が国最大規模の火祭りである。
毎年3月1日から2週間にわたり日没後から深夜にかけた行のことを【修二会】と呼び、お水取りはその別名として広く知られている。
家内は見物したことがあって、回廊から大松明の火の粉をまき散らすさまは圧巻のようだ。東北が大津波に襲われたその日、2011年3月11日のことである。
大変な人気で境内は人であふれる。よく火事にならないものだと思うが、実際江戸時代にこの行事の最中に失火し、建物を焼失したことがある。
二月堂は国宝、慎重な上に慎重に準備しているのだろう。
いかにも密教らしい行事だが、ネット動画で見ると山伏の荒行や神事の要素を取り入れた天下の奇祭と云える。






春日大社

全国に約1000社ある春日神社の総本社である。戦後、他の春日神社と区別するために【春日大社】と改名した。
世界文化遺産。
藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、神仏習合が進むにつれ春日大社と興福寺は一体となった時期がある。
鹿を神使として保護してきたことが今の奈良公園一帯の鹿の多さに繋がったのだろうか?
神社一帯は外人観光客に大変な人気である。





興福寺

興福寺は奈良の代名詞。今回古都散策のフィナーレ。
まっ先に世界遺産登録された法隆寺は場所が離れていて、別格な存在である。
興福寺の歴史をひも解くことは日本の歴史をひも解くこと。
興福寺は藤原不比等が創建者で、以来藤原氏の氏寺である。 藤原氏は公家集団の筆頭で近年に至るまで天皇家を支えてきた名門一族、時には朝廷を凌ぐ権勢を誇つた。 興福寺は春日大社と一体となってその藤原一族の本拠地だったのである。
一旦は平家に焼き打ちされ多くの伽藍を焼失するが直ぐに再建され、朝廷発祥の地大和国一帯を支配した。
当日は数多い建物の中の中核をなすピカピカの中金堂再建の落慶を記念して、国宝館が10月限定の特別展示中で、その最終日前日に入場することができた。
天平や鎌倉時代仏教彫刻の数々はほとんどが国宝や重文に指定され、訪れる人々を驚嘆させる。有名な阿修羅像はその中の一体にすぎない。 藤原一族の栄華をしのぶに十分なコレクションである。
興福寺から近鉄奈良駅は近い。








奈良の風景

近鉄奈良駅前アーケード街

猿沢池

県庁前メインストリート

正面奥に大仏殿を望む


no.17, 、 no.16,奈良  、no.15.水戸偕楽園