仙丈ケ岳(山頂は中央最奥の小さな突起) 小仙丈にて2004/07/15撮影
仙丈ケ岳の仙丈は、高さを示す千丈と広さを示す千畳の意味が兼ねられていて、それだけ大きな山である。
遠望すると噴火口のように見える山頂付近の形状はカールで、付近から眺めると、この特徴ある地形は一目でカールとわかる。このカールがアクセントとなり、ただ大きいだけでなく優美さを感じさせる。
私の好きな北アの薬師岳を思い起こす山である。
昨日甲斐駒ケ岳から北沢峠に下山した私は峠の長衛荘でビールを購入し、疲れ果ててベンチで一人喉を潤していると、私と同年輩の男性がバス待合場所からこちらへ移動してきて、話しかけてきた。
彼は仲間と昨日甲斐駒に登頂し、本日は仙丈ケ岳へ行く予定であったが、疲れ果て自信をなくしたので彼だけ本日の登山を中止し、仲間が戻るのをここで待っていたのである。
私は思わず、‘私も先ほど甲斐駒から下山し、明日は仙丈の予定ですが、疲れたので明日の登山は止めました’と自身に宣言した。
彼は再び‘50超えたら連続登山は無理ですね’と私の顔を覗きながらいった。私は同感した。
内心‘60を超えたら’でなくてホットした。
甲斐駒ヶ岳登頂が天候に恵まれ大満足であったので、さほどの未練はなかった。
こうして私は仙丈ケ岳登山の中止を決めたのであった、だが。
当日四時前に目を覚ました私は、バスの始発の9時まで何をして過ごしてよいか見当がつかなかった。
そして、足の痛みはさほどのことはなかった。
結局仙丈ケ岳手前のピーク、小仙丈まで行ってみることに思い直し、4:30にテント場を出た。
テント場に近い場所に本来の登山道と二合目で合流する近道があり、時間短縮が出来ることも現地へ来てから分かっていた。深い森林の中を緩く登る山道は、昨日歩いた道とは明らかに違った趣であった。
なかなか素晴らしい雰囲気であった。
だが、足が重い。その後も調子を取り戻すことはなかった。
そのうえやはり、3,000m級の山は甘くはない。緩やかであった勾配は高度が上がるに連れて角度を増し、足元も大きな岩塊や段差で悪くなる一方である。
ハイマツ帯に出、振り返ると眼前に甲斐駒が大迫力で聳え、昨日登頂しているだけに大いに心を和ませてくれた。
東方は、富士、北岳、間ノ岳が並んでいる。日本の標高1位、2位、4位である。
今日も他の登山者とすれ違うことはまれであった。自己のゆっくりしたペースを維持し、小仙丈ケ岳には標準時間でたどり着いた。
山頂からはテント場が小さく見えていた。さすがにマイテントまでは確認できなかった。
ここでゆっくり休憩し、あとは下るだけである。
余裕を持って仙丈ケ岳本峰山頂を眺めて見ると、この場所から以外にも近い。
私はカールを挟んだ反対側のピークが一番高いので、そこを山頂と見誤ったのであった。
ここ、小仙丈ケ岳の標高が2855m、山頂まであと200m足らずである。目の前に見えるピークまでの標高差もおおよそ200m、疑いをもたずにそこが山頂と信じてしまった。地図の確認を怠ったのである。
山頂まで地図標準タイムの70分どころか30分もあれば充分と勝手に判断し、またまた方針変更して先へ進んでしまった。欲が出たのである。
この先が岩場で、下って登り返しがあったことも誤算であった。登山道は私が山頂と見誤ったピークを通らずにその裏手を巻き、本当の山頂はその先の先にようやく確認できた。山頂着8:40。
仙丈ケ岳山頂からの眺めも素晴らしく、甲斐駒山頂と甲乙付け難いのであるが、自分の失敗のいまいましさが先に立ち、私は展望を充分に楽しむ気にならなかった。仙丈ケ岳には大変申し訳ないとの思いがある。
私はやはり相当に無理をし、疲れていたのだ。自分の体力に限界を感じた瞬間である。
私は昨日の北沢峠の同年輩の言葉を思い出していた。
下山は藪沢側のコースを取った。
仙丈小屋付近の水場の水はこの世の物とは思えないほど冷たく旨い水であった。
実際半分あの世にいた私だが、この水を飲んで生き返った。
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