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3、甲斐駒ケ岳登頂   2966m



甲斐駒ケ岳  右のコブが摩利支天 2004/07/15仙丈ケ岳山頂より撮影



甲斐駒ーカイコマ、畏敬と憧れの気持ちを込めてこう呼ばれるこの山は、伊那地方では木曽駒ケ岳と区別し嘗て東駒ケ岳と呼ばれていた。今では甲州巨摩(コマ)郡の山~カイコマの響きが定着した。
古来より信仰対象の山として、黒戸山の長大な尾根伝いに登られていた。また鋸岳の稜線から登頂するルートは人間業でない。
甲斐駒はその特異な山容といい、南アルプスの雄峰である。

4:30にテント場を出発した。足元はまだ薄暗いがライトなしでも危険はない。
北沢に沿って左岸・右岸を数度渡り返しながら緩やかに登る。小鳥の目覚めが早く、盛んに鳴いている。
30分で仙水小屋についた。静まりかえっていて、人の気配がない。
しかし、この30分後にこの小屋を出立した単独男性に私は駒津峰付近で抜かれている。
やはり、人はいたのだ。ここの水は冷たくておいしい。本日最後の水場である。
シラビソの林を抜けると、岩石が無数散らばる、まるで溶岩地帯のような荒涼とした場所に出る。
踏み跡が付かないので方向はケルンと赤ペンキが頼りだが、ペンキは消えかかっている。
概ね縁を水平にトラバースすると、仙水峠に出た。標識がある。左が駒津峰を経て目指す甲斐駒へ、右はアサヨ峰を経て延々と鳳凰山へ縦走するルートである。ここでようやく視界が開けたが、同時に強い風も吹き荒れた。
太陽が摩利支天と鳳凰山の間から低く上がってきた。駒ケ岳は逆光である。モルゲンロートに輝く甲斐駒ケ岳を撮影するもくろみは最早果たせないことになった。
峠から駒津峰まで高低差500m、樹林帯の長い急登で、所々で呼吸を落ち着かせながらの苦しい区間であった。
駒津峰は甲斐駒の前衛の山で、山頂の展望が良い。摩利支天を従えた甲斐駒本峰が間近に聳え立つ。
北沢峠からの登山道とここで合流した。
山頂で一息いれ、これから辿るルートを念入りに観察することにした。
ルートは駒津峰から一旦ヤセ尾根を急激に降下し、その先に巨岩が認められた。六方石と呼ばれる所であろう。
そこから切り立った岩稜を辿るのが直登ルートだが、私にはそこを攀じ上がるのは到底不可能に思えた。
一方の巻き道も摩利支天との鞍部からその先のルートが見出せない。あのザレた斜面を攀じ上がれというのか!
ここまで順調に登ってきた私だが、これからが甲斐駒ケ岳登山の核心であることを思い知ったのであった。
覚悟を決めストックをザックに納め手足フリーにし、常に三点確保を意識しながら急峻な岩稜を乗り越え、ようやくザレ場に抜け出た。
ルートはジグザグと切られているが見失いがちである。赤ペンキの目印○×印を見落とさないように進む。
急勾配の上に足元の白砂利が崩れ滑るので甚だ歩きにくい。歩幅を極端に狭め、一歩一歩確実に前進した。

山頂到着9:00ちょうど。予定した時間である。
山頂は祠を中心に周囲がグルリとなかなか広い。
絶頂は岩の上で、岩にはホールドが切られていて登ることが出来た。
四周の眺望はほしいままである。北岳、間ノ岳、仙丈ケ岳は手が届く距離。東に鳳凰山、その裏に富士山。西には木曽駒ケ岳をはじめ中央アルプスが峭壁となって連なっている。
北には秩父連山と八ヶ岳。ここからの八ヶ岳は縦並びなので、別の山に見える。南には南アの高峰が連なる。塩見岳が特定できた。北アルプス方面は雲が湧き出ていたが、雲の上に頭が飛び出ていた山は乗鞍岳であろう。
苦労の末の大展望で、感激もひとしおであった。
山頂は自分を含め3名だけであった。
思い思いの方角を眺めながらも話が弾む。大きなザックの青年は黒戸尾根7合小屋前日泊、そしてこの後仙丈ケ岳の山中小屋まで行く予定である。仙水小屋からきた青年は本日の下山である。
大ザックの青年は笛を取り出し吹き始めた。私が‘ケーナの音色は山に似合いますね’と声をかけたところ、私がケーナを知っていることに驚き、そしてひどく喜んでくれた。
やがて到着順に下山することになった。
私が山頂を去る時が来た。
残った最後の青年は再び笛を取り出し吹き始めた。いつまでもいつまでも。
下るに連れて音色は澄んで響き渡った。
私は振り返り、既に遠くなった山頂を見上げて手を振った。

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