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熊野三山&熊野古道2


日本一の長距離路線バス


日本一の長距離路線バスに乗って
翌5:40新宮駅へ。5:53発八木行きバスに乗るためである。ホテルの朝食は7:00からなので前日に購入したパンと缶コーヒーで間に合わせた。
奈良交通がJR新宮駅~近鉄八木駅間を運行するこのバスは、日本一の長距離路線バスとして知られている。路線延長167㎞、停留所の数も167、6時間半かけドライバー一人で運転する。全区間の運賃は5200円。
ドライバーの話によると、全線乗車を目的とした客が結構いるそうである。今朝の客は4グループ、6人ほど。途中では中高生や観光地の従業員らがポツリポツリと乗り降りした。
幹線国道42号に出ると新宮に対する元宮=神倉山神社が山の中腹に、朱色の社が山肌に映える。
紀伊山地を縦断する国道168号線に入り熊野川沿いに上る。
数々の歴史伝説を運んだ熊野川、この川そのものが熊野参詣道である。上流は十津川と名を変え、五條や高野の奥地から川船で人や物資を運び続けたのだ。支流の北山川には有名な景勝地~瀞八丁がある。
バスは請川で一旦国道を離れ川湯温泉、湯の峰温泉を経由する。
湯の峰温泉は壮大なラブアドベンチャー「小栗判官と照手姫」のドラマで重要な一幕を担う。 瀕死の重傷を負った小栗判官は藤沢の遊行寺上人等の導きによって熊野に詣で、湯の峰温泉「つぼ湯」の薬効によりついに全快するのである。この後最愛の照手姫と劇的に再会し敵を討つ。
作者地元の近隣、藤沢や戸塚の俣野が舞台となって展開したドラマは、熊野の奥地に舞台を移す。実際にこの山奥の狭隘な道をバスで通過してみると、開けた相模の国と熊野の僻地を結びつけた原作者の創造力には脱帽させられる。


果無(ハテナシ)集落
バスは本宮大社を過ぎ十津川村に入る。十津川村は奈良県の約5分の1の広さを占め、村としては日本一の面積、その96パーセントが山林である。村の中央には十津川本流が深いV字渓谷をなし、バスは谷底を行く。
車窓左に連なる1000m級の峰々稜線がこれから歩く小辺路で、とても手強い印象。
新宮を出て2時間ほどで十津川村果無峠越え登山口のある蕨尾(ワラビオ)に着いた。
「きをつけて!」とドライバーから声をかけられた。
小さな集落を少し戻って今バスで通った国道の赤い鉄橋【柳本橋】を渡り返し、右折した高台に登山口がある。 鉄橋手前の案内板には鉄橋手前を右折し吊り橋で対岸に渡るよう示されていたが、大分遠回りとなりそうだ。登山口には果無峠越えの案内略図看板が設置されていた。
風化した石畳の急坂を、息を切らして登って行くと、突然集落が出現した。果無集落である。
30分も登ってきた山の稜線上である。だが電柱が立ち水も引かれている。お花畑や野菜畑、そして水田まであった。10軒足らずの小さな小さな集落。
参詣古道は民家の軒先に通じていて、旅人用に水場があった。私は野良仕事をしていた元気なバァさんと立ち話をし、峠の方角を尋ねたところ、あらぬ方向を指差した。
今では柳本から車道が通じているとは云え、此処で生活する人々は古から綿々とこの地に住んで、旅人に便宜を供してきたのだろうか?
社会と隔絶した山上の小集落に私は不思議な気がした。

果無集落の上部に建てられた世界遺産石碑と熊野古道



小辺路果無峠(コヘチハテナシトウゲ)越え
石畳が終わり山道となる。果無峠のある果無山脈の稜線ははるか彼方に仰ぎ見えていたが、樹林に入って展望がなくなりかえって気が楽になる。 時折風が吹き抜ける木陰の道は暑さが和らぎ呼吸が楽だ。
ここから峠まで山中をひたすら登る長~い長~い道程。折れる心を次から次へと迎えてくれる三十三観音が支えてくれた。 大正年間に地元有志に設置された石仏である。果無峠越えの道は世界遺産登録以前から大切に守られてきたようだ。
茶屋の跡に出る。茶屋の番人が耕作していたと云う水田跡地は小さな草原となっていた。道すがら茶屋は何軒かあったようで、人々の往来が近年まで絶えなかったことが覗える。
観音堂には二体の観音菩薩と不動明王が祀られている。豊富な水が引かれコース最後の水場で、ここから峠までは急登が連続し、その前のオアシス的場所であった。
急登にあえぎながら、北側が開けた一角を通過する。素晴らしい展望!!眼下に十津川の村々、そして紀伊山地の広大な峰々が目の当たりである。連なる山々の奥には一際高く聳える山がある。 紀伊山地の高峰群~八経ヶ岳の山々だろうか?同定するにはこの山域に私は馴染みがなさすぎた。
登山口から3時間費やし果無峠に着いた。展望はなく、石仏二体と標識があって開けない場所だった。
コース最高点標高1060m、登山口からの高低差約900m。
峠を越して南北に小辺路がはっきりと通じている。「ブナの平」を指す標識がある果無山脈の西方向稜線には僅かな踏み跡が認められたが、東の尾根には踏み跡すら認められなかった。
広大な紀伊山地、尾根を間違えて迷い込むと抜け出すことは容易でなく、忠実に小辺路を辿ることが肝要である。
ところで、世界遺産登録を審査したユネスコの紳士淑女ご一行様は紀伊山地を網羅する嶮しい古道を一部でも実地踏査されたのだろうか?  熊野三大社と大門坂・那智の滝などを足早に車で移動しながら見聞し、瀞八丁の川下り、その後は勝浦・白浜近辺のリゾート温泉ホテル、あるいは本宮の川湯温泉にも一泊し、調査終了されたのではないでしょうか。もちろん好印象だったに違いありません。


果無峠


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