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小金沢連嶺縦走3


富士山を背景に、牛奥ノ雁ケ腹擦山付近にて撮影


湯ノ沢峠避難小屋にて~その2

宴会も終わり片付けに取り掛かろうとした時、新たな客が現れた。
驚いたことに目の不自由な方で、30歳くらいの男性だった。タクシーで林道まで上がってきたのだった。タクシードライバーが顔を出し、挨拶して帰って行った。
私は、どう行動してよいかわからずに躊躇していると、
「以前もここでお会いしましたよ、チョット待ってください、いま場所を作りますから」と、常連さんの一人が直ぐに声を掛けてくれた。
私たちは、広げたお店を片付けて彼の寝場所を確保した。私のすぐ隣である。
彼は野鳥の鳴き声の収集家であった。そこで、bird hearer さん、と呼ばせてもらうことにしたい。
声を掛けた常連さんはbird hearerさんを寝場所の前に誘導し、彼の手を取って寝場所の範囲を示した。
その後私たちはbird hearerさんに対してお手伝いすることは何もなかった。
彼は、きめられたスペースに荷を降ろすと、釣竿のような集音マイクと録音器を取り出してセットし、支度が終わると弁当をつまみながらビールを飲み、暗闇の中、一人で出かけてしまった。
私ともう一方の常連さんは唖然として見送った。
「すごいですねー、危なくないのですかねー」誰へともなく私が云った。
「大丈夫でしょう、前もそうでしたから」
「ああやって録音した鳥の鳴き声はインターネットで公開しているようですよ」と常連さんが答えてくれた。
1時間ほど過ぎて、bird hearerさんが戻り、私たちは既に寝る体制であったが、‘成果はどうでした’‘どんな鳥がいましたか’‘沢へも降りたのですか’等々いろいろ質問してしまった。
失礼がなければよかったが。
bird hearerさんは林道沿いに歩くだけで、知らない道へは入らないので心配ないとのことだ。
ようやく全員寝る体制となり、消灯した。
私は肉体疲労と深酒が重なると、寝相が乱れる悪いクセがある。足をバタクタと投げ出し両隣に迷惑を掛ける。そこで用心のために布団の上に持参したシェラフを敷いて潜り込み、その上に毛布を1枚掛けて寝た。
これで寝癖対策・寒さ対策ともに万全である。だが、手はシェラフから外に出したまま寝た。

湯ノ沢峠避難小屋にて~その3

いきなり時代は十数年前に遡る。
当時の私は、あるゼネコンに勤務し、建設資材の調達を担当していた。
ある工事現場で特殊で高価な鋼材を使用することになり、特別注文した現物を現地に搬入したところ、その工事が用地問題で中断してしまった。
鋼材をそのまま野ざらしにして腐食させるわけにはいかない。数百万円がフッ飛んでしまう。
私は、仮設機材を取り扱う機材センターへ出向き、空いている屋内倉庫へ鋼材の一時保管をお願いした。
先方の顔見知りの担当者へ、できるだけ迷惑をかけないよう、保管後の管理法など誠意を持って説明し、頭を下げた。私は再三頭を下げた。
しかし、そやつは聞く耳を持たなかった。
私は、腹を立てたが、こいつはもう相手にすまい、別のルートから手を廻そう、とあきらめた。
しかし、私の口から出た言葉は、
「おめえなど、もう相手にするか、バーカ!」
そやつは、血相を変えて私に殴りかかってきた。
こんなバカに殴られるわけにはいかない。
私は先手を取り、そやつの頭をバシッと叩いた。
ん? シッ、シマッタ!私は起き上がった。
隣のbird hearerさんはもとより、常連さん二人も起き上がり、魑魅魍魎となって私を睨みつけていた。
いや、落ち着け、まだ目を覚ましていない。
私は完全に目を開けた。常連さん二人の寝息が聞こえていた。
隣のbird hearerさんは、身動き一つしない。
何事もなかったか? しかし、私の手には、何かを叩いた感触が残っていた。
隣のbird hearerさんは3時に立って行った。彼の時計は声で時刻を知らせるのだ。
彼は、出掛けに私の足を軽くたたき、小声で私だけに、
「お世話になりました」と云った。

二日目、南大菩薩連嶺縦走

昨晩のラジオでは、山梨地方は今日の昼前から降り出すと予報していた。既に雲が垂れ込めている。
私は予定より出発を早めて5:20に、常連さんに見送られて、人生模様が凝縮された小屋を後にした。
湯ノ沢峠から大蔵高丸への登り口までは、お花畑と呼ばれる草原で、7~9月にはその名の通り様々な花が咲き乱れるとのことだ。
大蔵高丸の展望は素晴らしいもので、天候が良ければ昨日の小金沢山を凌ぐほどだ。
湯ノ沢峠をベースにして、ここ大蔵高丸と、昨日の白谷ケ丸周辺は、ゆっくり散策するのに適したとても美しい場所である。
私は雨の心配が出てきたので、山頂を早めに切り上げた。
ハマイバ丸1752mへは6:30に着いた。
山頂は、その名から連想される岩場と違って、樹林の中で展望もない。
むしろ、山頂を少し下った辺りが素晴らしく、転石と紫色のミツバツツジの花が織り成す自然庭園を作り上げていて、目を見張らせた。
全体的に、南大菩薩連嶺はたおやかで、好ましい雰囲気が充満している。
いよいよ今回最後の難所、大谷ケ丸(オオヤンガマル)1643mへの登りだ。
昨日の疲労は大分回復したように自覚していたが、たちまち足が動かなくなってしまった。
山頂着7:40。山頂は樹林に囲まれ、僅かに西側が開けている。
それでも、この先は展望が皆無となるので、しばし休息し息を整えた。
山頂で滝子山へ向かう道と別れ、大鹿峠方面へ向かう
この先は下り一方である。まず一旦急降下する。その後曲り沢峠の先までなだらかな新緑の樹海を行く。平凡ながら、疲労を忘れる気持ちの良い道だ。
そして大鹿山手前の分岐から、景徳院へ一気に下る。
この日は、湯ノ沢峠を出てから、とうとう人に出会うことはなかった。
9:50、景徳院に着いた。
私は、bird hearerさんを思い出していた。
無事に甲斐大和駅に着いただろうか? 湯ノ沢峠から林道経由だと歩きなれた人でも3時間は要する長い道程だ。
私は本殿で、bird hearerさんの無事を祈り、次いで自分の無事下山をお礼して、駐車地へ向かった。
いつの間にか雨が顔に当たり始めていた。 

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