HOME 作者の獲物はシロギス少々とアジ2匹、キスは寄付したのでお土産はその中型アジだけだ。その夜は2匹のアジの塩焼きを家族4人で食べた。“一匹5千円のアジは旨いね”などとイヤミをいわれながらね。渡船料とアクアラインなどの通行料、そしてエサ代を含めると概ねそういう計算だ。 “どうだまいったか、めったに口に入らない超高級魚の味は!” などと言いながら、かなり惨めでした。せめてあと2匹釣りたかったな。でもとても楽しい釣り会でしたよ。 渡船は木更津漁港の宮川丸を利用する。夏場の土日祭日は早朝4時に第一便が出船し、以降1時間ごとに便がある。 防波堤の総延長は約3kmあり相当長い。途中潮通し用に切れ目があるので、防波堤は4か所に分かれ、湾口部沖側からA堤・B堤・C堤・D堤と呼ばれ、A~Cはそれぞれ800~1200m、D堤で200m、ほどの長さがある。渡船の制約がある上に釣り場は長大なので混み合うことはないようだ。 水深はA堤側が深く4~6m、順次浅くなりD堤では1~2mとなる。水面高は満潮時で2~3mである。狙いは各堤防で異なり、A堤では初夏からアジが回遊し、BCでは投げ釣りが、Dではシーバスや春のメバルのポイントとなる。クロダイはA~Dそれぞれで狙え、何処でヒットするかはその日の運もあるようだ。 渡船は中型の遊漁船を使用している。D堤まで10分ほどで、最奥のA堤までさらに5分ほどかかる。客の希望に沿って、船はそれぞれの堤防の定位置に着岸する。乗降はそれほど難しくはない。堤防上にはA堤先端の灯台以外には施設は一切ないので、トイレは1時間ごとに往来する渡船を利用する。 | ||
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我々は5時出船の第二便に乗船した。十数人の客がいたが船にはまだ余裕がある。当日は雨模様で雨具を着用した。全員にライフジャケットが配られる。 私にとっては初めての場所なので、狙いは確立が高いアジとキスの二本立てで臨んだ。 一行のリーダーであるタダシ君はA堤のB堤側を下船場所に選んだ。アジ狙いの私は堤防の先端がいいと思ったのだが、仕方なく従うことにした。タダシ君は自分の弟である。一行多数派は、落とし込み仕掛けで大物を狙う。 この場合はA堤とB堤の間の潮通し付近が狙い場所のようで既に多くの釣り人がポイントに張り付いていた。 下船場所はそのポイントに入るには好都合である。ところで、常連以外の釣り人が大物を釣る確率は非常に低い。大物を夢見ることはそれで結構なことだが、私にはアジ釣りで充分だ。なによりも家内の締め付けが厳しい。今夜のオカズ無しで帰ると敷居がとても高いもので。 早速接岸場所付近に本拠地を構え、それぞれの仕掛け作りに余念がない。 “この沖にもアジは回遊しているので大丈夫だ”タダシ君はシタリ顔で私に言った。十回ほど此処に通っている彼の言葉は尊重せざるを得ない。その彼は自分の支度が終わると私の所へきて “ポン酒持ってない?”などとぬかす。 仕方なく持参していた大ワンカップを手渡した。我が方は息子がドタキャンしたので、代え運転手のいない私は酒を控えざるを得ないのだ。タダシ君の息子であるよっチャンとその友人タニ君はビールを飲みながらの仕掛け作りだ。 “どうしょうもない親子たちだね”これは自分が飲めない腹いせである。 一行は、他によっチャンのワイフの弟ヒロ君とその彼女マサミちゃんを入れて5名が1台に便乗し、我が方1名が別便で、総勢は6名である。 私は珍しい竹の投げ竿3.6mに、5号サビキ・コマセ篭、そして遊動式飛ばしウキをセットし、さらに針に大粒アミを付けて、第一投・第二投・第三投、ケーソン基礎の少し沖目10~15mほどを狙う。第四投・第五投、引き続き反応なし。この辺りにアジが回遊していないことは確実だ、私には仕掛けを数回投入すれば海中の様子が見えるのだ。 直ちに先端方面へ場所変えだ。しかし遠い。用具一式を運ぶのはつらい。仕掛けをセットしたまま竿を担ぎ、空いた手でコマセバケツを持つとそれで手一杯、クーラーは置いていく。 10分ほど早足に移動し、先端のやや手前が空いていたので再び第一投、潮が効き沖へウキが流される。いい雰囲気だ。第二投、ウキが一気に消し込み即座に合わせる。竹竿にはダイレクトに魚信が伝わり、魚の抵抗を吸収してしまう細身の柔らかいカーボン竿では味わえない醍醐味がある。強い引きをかわして慎重に寄せ、引き抜くと25cmほどの立派なアジだ。 クーラーがないのでレジ袋に獲物を入れコンクリート上に置く。魚はドタバタと大暴れする。付近にいた未だに獲物がない落とし込み釣り師に羨まれる。その後も二投に一回の割でアタリがあるのだがほとんどバラシてしまう。魚が思った以上に大きく、5号のサビキ針では小さ過ぎるのだ。二匹目を釣り上げて、仕掛けを手前マツリさせてしまった。 予備サビキは遥か彼方の本拠地にある。万事休す、これで事実上私の釣りは終わってしまった。 八号の大き目なサビキ針をセットし、体制を整えて引き返した時には既にアジの地合は終わっていた。自分の段取りの悪さを嘆く。初めての場所はえてしてこんなものさ、仕方ない。 一方、本拠地の大物派も、案の定大した獲物にありついてはいなかった。 ヒロ君が釣り上げた尺アジが唯一輝いていた。 彼らは地元に戻ってから獲物を肴に宴会する予定なので、このまま空身で帰るわけにはいかないのだ。よっチャンの提案で場所をC堤に移動し、シロギスに狙いを絞ることになった。1時間ごとに往来する渡船で移動する。狙い通り全員ポツポツ数を伸ばし、終いには充分な数となった。 釣りと云へば乗合船で沖に出ることが多い私だが、丘釣りにも大変魅力を感ずる。ただ近年はどこも場荒れがひどく、丘釣りから遠ざかっていた。木更津沖堤は、船の沖釣りと丘釣りとを合わせもつ雰囲気があり、魚影もそこそこ濃いようで穴場的な釣り場かもしれない。案外近く、大船の我が家からおよそ60分で船宿へ着いた。アクアライン利用だと通行料が高いので、数人乗り合わせての釣行がよさそうだ。 とても面白かった・もっと釣りたかった・反省点も多かった・また誘ってね! 7/9 掲載 |
木更津港宮川丸17:00の便で沖堤に上がった。船は接岸すると、古タイヤを貼り付けた舳先を堤防の側壁に直角に接着させてエンジンをふかし、その推力で生まれる圧着力によって船の上下動を止める。 その間に、客は素早く堤防に乗り移るのである。 ところが私が堤防に乗り移ろうとしたその瞬間、船はシーソーのように大きく舳先を持ち上げ、あわてて荷を抱えたまま振り落とされるように飛び降りた私はバランスを失いトトトトトッと前進し、そのままよろけるように堤防を横切り、反対側端でかろうじて立ち止まった。 危ないところだった、あと数歩でドボ~ンだった。私は振り返り船を見た。船長は不安そうな顔つきでこちらを凝視していたのだった。私は手を振って合図し、直ぐにその場を何事もないよう離れた。船長は“あのオッサン大丈夫かいな”と思ったに違いない。 土曜の夜とあって、沖堤はたくさんのアングラーで賑わっていた。私は混雑を嫌い、すいていたA堤防の中間に乗った。大方はクロダイ狙いである。たまに投げ釣り仕掛けの釣り人が確認できたが、アジ狙いは見かけない。 かつて伊豆の堤防でアジやイサキの夜釣りを何度も経験している私だが、堤防夜釣りでの狙い物の代表はアジである、と云う自分の常識がここでは通用しないらしい。 初っ端から躓いた私は、イヤな予感がした。もしかして、釣れないのでは? 釣れるのならば、狙う者が必ず居るからだ。予感は的中した。 大分日が短くなった。18:00で既に薄暗く、電気ウキの光が海面に浮き上がる。本来地合時だがウキに反応は全く出ない。時折竿が重くなるが、海藻が引っ掛かって上がるばかりである。心躍る時間帯のハズが逆に闇が深まるに連れて心沈んできた。 とうとう夜の帳が下りた。だが東京湾の海岸線は夕暮れ時のまま時間が止まったように明るい。大都会の夜に闇が訪れることはない。上空は羽田へ降りる旅客機が低空を等間隔に飛来する。都会の明かりだらけの中、飛行場の誘導灯をよく間違えないものだと感心する。 暗闇となってから私は仕掛けを何回もオマツリさせてしまう。だが強度の老眼では、ヘッドライトの明かりでオマツリを解くことは無理だった。当然仕掛けの消耗が激しくなった。 周囲では電気ウキの明かりが遠く何箇所かで見受けられた。どうやらクロダイが不調で諦め、アジ狙いに変更した人がいるようである。だが、そうは問屋が卸さないのだ。 竿を上げた際片足が何かを踏み潰した。ライトを照らすとステン制のコマセ篭がペチャンコに潰れて、中のコマセが内臓のように飛び出していた。潮時かもしれない。だが19:00の迎え船は少し遅れて先ほど出て行ってしまった。次の便は21:00である。 私は持参した缶ビールを飲んだ。ノドがカラカラだったことにようやく気がつき、一気に飲んでしまった。私は周囲を眺めるゆとりが生まれた。 クロダイ狙いの釣り人が仕掛けを落しながら暗闇の堤防先端スレスレを灯火なしで移動していく。 万一大物がヒットしたら、大慌ての釣り人はたちまちドボ~ンにちがいない。その瞬間に立ち会いたい誘惑に駆られた。私は少し酔ったようだ。 迎えの便まで1時間以上ある。その間まったりと過ごすのも悪くはないが、気を取り直して潰れたステン篭の修復を試みた。 チクッ イテッ!! 飛び出たステン針金の先端に刺された指は出血していた。 私は完全に釣りの意欲を失い、2本目のビールを取り出した。 2007.09.12掲載 |