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薬師岳2


   
             山頂から槍穂高を眺める               山頂にて


ここから道は三方向に分かれる。右は上ノ岳から黒部五郎岳へ行くコース、真っ直ぐに下るのが黒部川を渡り雲ノ平へ行くコース、左が薬師岳を経て立山方面へ縦走するコースである。
さらに菓子パンを1ケ食い、13:10 薬師岳へ向けて出発した。
 道は一旦鞍部に下る。下った鞍部を薬師峠といい、広いテント場になっている。トイレ、調理場の設備があり、登山口の折立よりもさらに冷たい水が溢れている。テントサイトの地表面は平に均されていて快適に寝ることができそうで、キャンプに適した場所である。
実は遅くなった場合はここで野営することも考えていて、ミニテントを担いでいたので、実際にここで野営したい誘惑に駆られたほど良い場所であった。当日は十数張り見かけたが、50張り位まで充分にスペースがある。だが時間はまだ14:00前、先へ進むことにした。
テント場を過ぎ、潅木帯の小沢を遡る。距離は短いが辛い登りである。
先ほど飲んだ僅か1缶のビールがやけに利いてきた。汗が滴る。沢の途中で2回も休憩してしまった。沢は上部で流れが涸れるが、この流れ出しの最初の湧水は、今まで飲んだ水の中で最も冷たく美味しいものであった。
沢を登りきり、その先の尾根は右の黒部川側から回り込むように登る。この尾根の付け根周辺を薬師平といい、愛知大学遭難慰霊碑がある。雲ノ平を見下ろす高度まで、ようやく上がってきた。
尾根に取り付き潅木帯を抜け、森林限界となる。ハイマツが目に付いてくる。道はザレ場に変わる。勾配はさほど急ではないが、視界が広がるにつれてグングンと高度感が増す。上がるにつれて風が強くなる。
足が上がらなくなってきた頃に薬師岳山荘に到着した。時刻は15:40であった。1日目終了、行動時間8時間50分。
受付と同時にビールを注文した。
 
この小屋は薬師岳のちょうど肩にあたる部分で、標高約2700mの高所にあり、山頂まであと1時間ほどの場所である。
視界は北方向の山頂側を除いた三方が開けていて、雲ノ平を囲む山々・先ほど通過した太郎兵衛平・その奥に有峰、目の前に鍬崎山、その後方に富山の街が、さらに奥に富山湾・能登半島がうっすらと眺められ、好展望の位置である。
小屋は小さな木造トタン張りの平屋で、下に受付事務所・食堂厨房・従業員部屋・便所があり、ハシゴで昇った天井裏がぶっ通しの客用寝床となっている。寝床は妻側2箇所に小さな明り取りの窓があるだけで、日中でも薄暗い。
詰めないでゆっくり寝られるのは30名くらいまでか。付近に水場はない。
※(その後薬師岳山荘は近代的な山小屋に生まれ変わりました)---築45年の古きよき時代を乗り越えてきた山荘を、2010年8月に新装オープンいたしました。 薬師岳頂上南西下、標高2701mに位置し、東に槍・穂高・雲ノ平、西に富山平野・日本海が一望できる、木の香あふれる雲上の宿です---山荘ホームページより

当日は到着時で既に十数名、その後に8名、自分を入れて計20名ほど、まだまだ寝床に余裕があった。内訳は、男性単独・カップル・熟年女性グループ・中年男性グループ・親子連れなどバラエテーに富む。
単独者の行程をそれぞれ聞いてみたところ、1泊往復登山は自分だけのようであった。ある年配者は、明日登頂後、太郎兵衛小屋に泊まり明後日に下山するとのことで、私よりのんびり行程の唯一の登山者であった。
あとの方たちは縦走途中で、ザックが大きい。若い単独者は、明日は五色原まで行く予定という。
通常2日コースである。彼は、翌日朝食前の暗い時間に出立していった。

小屋の管理人はここのような山奥の小屋では大変珍しい女性である。そのほかにご子息であろうか、高校生位の手伝いが2人いた。気配りが行き届き、さりとて出過ぎることがない、やさしい雰囲気を持つ好印象の管理人であった。
後日知ったが、山の専門雑誌も度々取り上げているようである。オフシーズンは山を下りてピアノの先生だそうである。
今後はガサツな山男が管理し、従業員までがアゴで客に命令するような小屋には泊まりたくない思いがした。
17:30からの食事はおでんをメインに工夫された数品、ご飯も、高所にかかわらず美味しく炊けていた。
男6人グループは外のテーブルで宴会しながらの自炊、残りの十数名は食堂定員とほとんど同数で、全員一緒に食事することができた。美味しい食事と客同士の和やかな語らいとがあいまって、単独の私も楽しい一時であった。
再びビールを飲んだ。食堂では石油ストーブが焚かれていた。
食後、寝床でウィスキーをチビリチビリと飲んでいるうちに(寝床で飲食はいけません)、うとうとしてしまったようだ。夜景がきれいだよ、と声を掛けられたので、用足しついでに外に出てみた。
富山の市街地が大きな広がりで鮮やかに輝いていた。ひときわ明るい中心街は浮かび上がるように見える。海には小さな漁火が点々としていた。遠方に弱々しい一筋の光が海の彼方へ伸びている。能登半島の海岸線である。素晴らしい夜景であった。
冷えてきたので寝床に戻り、まもなく突然消灯、すぐに寝てしまった。
消灯は20:00であった。

明けて朝食は5時からで、山小屋としても早い方であったが、単独客数名は既に早立していた。彼等の行動は迅速である。暗闇のなか、明かりも点けずに素早く出て行く。隣にいても気付かないほどであった。朝食は受付時に頼むと弁当にして前夜に渡してくれるのである。
6人組、カップル一組もご来光を迎えるべく、荷を小屋に預けて山頂を目指して登って行った。残った者は10人くらいで、自分も含め、落ち着いて食事をした。
私は山頂での絶景を写真に撮りたいがために、ご来光時刻の露出不足を嫌い、日が昇ってからの登頂を目指すことに決めていたのである。当時は暗いレンズのフイルムカメラである。
起き出した頃は、星がうっすらと輝いていたが、じきに見えなくなった。
今日も好天が続くようである。
6:00出立、荷造りを済ませ、ザックを背負って山頂をめざした。時間の節約のために、返りは小屋に立ち寄らずに済ますつもりであった。足元もだいぶ明るくなってきた。北アルプスらしいザレ場の急斜面をジグザグと登る。風が冷たく強い。
上方に荒廃した避難小屋が見え、山頂かと見間違えるが、南東稜の頂で、山頂はまだ先で見えない。
ご来光見物組とすれ違った。彼等は私にも見せたかったと自慢した。それほどに感動したとのことであった。
稜線まで上がらずに左側山腹の岩石帯の斜面を行く。ようやく祠が前方に小さく見え、あそこが山頂に間違いない。
この辺りは、はっきりとしたトレイルがなくなっているので、飛び石伝いに方向を見定めて適当に進み、山頂付近で稜線に攀じ上がり、岩石を上りきると、祠のある山頂であった。
古びた山頂標識が立っている。7:00登頂。

2900mを遥かに越える山頂からは視界を遮る物なく、まさに360度の大展望であった。いままで姿を見ることができなかった立山は、ここからはピラミッド形の鋭鋒で朝日に輝いている。剱も頭を覗かせている。
立山方面への縦走路には数多くの頭峰が聳えていて、行く手の困難さを思わせる。
黒部上ノ廊下に落ちるカール群が足元から始まっている。
小屋からでは見ることができなかった、鹿島槍などの後立山連峰が延々と連なっている。反対側には名峰白山が風格ある姿をみせている。
さらに驚いたことには、穂高連峰の左に見覚えのある小さな台形がかすかに認められた。富士山に違いない。
大気がこれだけ澄んだ日はそうそうはないだろう。
めったに遭遇することのない大展望であった。まさに東洋一の大絶景だ。
写真を撮るのを忘れ、山頂に居合わせた数人を巻き込んで、山座同定に夢中になってしまった。
山頂を数段降りると比較的広いスペースとなる。そこで飽きずに景色を眺め、下山開始は7:50。
 
13:30折立発の富山行直行バスに間に合うよう、下りを飛ばした。
このバスを逃すと15:00頃の有峰口行最終便があるだけである。
沢で冷たい水を補給し、太郎兵衛平で小休止しここで最後の眺望となる核心部の山々とお別れし、10:30再出発。
ついで樹林帯に入る前に弥陀ケ原方面の眺望ともお別れし、バス発車時刻の15分前に折立へ着いた。幸い座席はまだ充分余裕があった。急いで顔を洗い、バスに乗り込み出発してから、洗い場に帽子を忘れたことに気がついた。
飲み物も購入したかったが時間がなくあきらめていたら、思いがけずダム付近の売店に立寄ってくれたので、そこでビールを購入することができた。
復路はさほどの恐怖感を覚えることなく、山道を順調に下り、定刻通りに富山駅に到着した。
そこは35度の灼熱であった。
下りを飛ばしたために足にダメージを受けていた。

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