蓼科山は百名山の一つで展望の山。 八ヶ岳の北端に聳えていて、コニーデ状の独立峰なので、遠くからでも目立つ山です。 四方から登山道が通じていますが、最短コースで広く利用される一の鳥居登山口には広い駐車場があって、ほとんどの登山者は車利用です。 その一方、公の交通手段となると不便極まりない山です。 脚力が想定以上に衰えていた私は、予定したバスに乗り遅れ帰路の交通手段を一時失ってしまう。 7:20に家を出て~帰り着いたのが23:50、16時間半の長ーい長ーい1日となりました。 日帰りながら、新幹線・在来線特急・バス・タクシーを乗り継いでの大旅行をした気分でした。 コース&タイム 往路アクセス (遅い到着、それでも最短); 東京8:44=北陸新幹線=9:59佐久平10:21=千曲バス=10;59立科町役場 立科町役場11:10=町営スマイル交通バス=11:37蓼科牧場=ゴンドラ=11:55御泉水自然園 御泉水自然園12:00~七合目鳥居12:20~13;40蓼科山荘13:50~14:50山頂 山頂15:00~15:40蓼科山荘15:50~16:50御泉水自然園17:10~17:40蓼科牧場バス停 所要時間;5時間40分、歩行時間;4時間50分 帰路交通; 蓼科牧場18:34=スマイル交通=18:45東白樺湖 ※予定したバスに乗り遅れ、東白樺湖に着いた時点で乗り継ぎのアルピコ交通バスは全て終了していた。 白樺湖付近のリゾートホテルフロントにお願いし茅野からタクシーを呼ぶ。 19:20=タクシー(7200円)=19:55茅野駅20:31=スーパーあずさ36=22:10八王子駅 この日、北朝鮮ミサイル発射の影響で北へ向かう新幹線は軒並み遅れていた。 佐久平で乗り継ぎのバスを逃したら計画が全てパーになる私はヤキモキしながら列車の入線を待つ。 結局12分遅れて東京駅を出発した【はくたか555号】は遅れを引きずり、佐久平に10分遅れて到着した。 新幹線は極限のスピードでダイヤを組んでいるので、走行中に後れを取り戻す余地が少ないのだ。 自由席は東京で満席、上野駅で乗車した客は座れない。始発の東京まで移動して乗り込めばいいのにね。この僅かな手間を惜しむ客が大勢いる。 佐久平から千曲バスで立科町役場へ向かう。ハイカーや観光客ら旅人が5~6人、地元民が数人乗車。 バスは望月町の旧道を走る。白壁で軒先が低い民家が点々と建ち、どこかで見覚えのある古い建物である。 そうか、ここは旧街道の中山道だ。 妻籠や馬籠で保存されている宿場町、此処でも当時の家がそのまま生活に供されているのだった。 旧東海道では箱根の石畳以外に旧街道の面影を残す場所がないのと違い、中山道はそこかしこに大名行列の痕跡を残している。 30分余りで立科町役場に到着。立派な庁舎です。ここで町営のコミュニティーバス~スマイル交通に乗り継ぐ。午前便はこの1本だけ。 路線バスから乗り継いだ5人を乗せてマイクロバスは出発した。 山間部をバスは快適に走る。時折観光施設があるだけで集落は見かけない。私を含め二人が蓼科牧場で降り、バスは空となって終点の東白樺湖へ向けて走り去った。 降車際にドライバーへお礼を述べておいた。何せ自分のために運行されたようなバスなので。 冬はスキー場となるなだらかな草原に架設されたゴンドラは通年営業で、無積雪期は御泉水自然園の散策者を運ぶのが目的のようだ。 チケット売り場で割安な往復券を勧められたが片道券を購入、帰りは歩くつもりだ。 5分ほどで降りた御泉水(ゴセンスイ)自然園入り口は広場で展望が開けた場所。御柱が1本立っていた。七年を経て入れ替わった古い柱が運ばれたのだろうか? 御泉水自然園には1時間ほどの散策コースがあって、1800mの高原はいかにも気持ちよさそうな場所である。 登山口へ向かう車道は大きくS字カーブしていて、ハイカーは直線的に遊歩道を進み、ゴンドラ駅から15分ほどで鳥居のある七合目登山口へ出る。蓼科神社奥ノ宮の鳥居である。 周囲には100台くらいは置けそうな広い駐車地があり、大方の登山者は車利用のようだ。平日なので5割方あいていた。 ここの標高は1900m、山頂まで630mの登りである。 鳥居を潜り登山開始。シラビソ・カンバなどの樹林帯を、始めは緩やかに、徐々に傾斜を増し、傾斜が増すに連れて石コロ・岩屑の歩きにくい道となる。 蓼科山荘まで1時間20分、展望が開ける場所がなく、休憩に適した場所もなく、長く辛い。 ※標高2100mほどに天狗の露地と呼ばれるちょっとした展望地があるようだが、私は寄らずに通過した 蓼科山荘は将軍平と呼ばれる開けた場所にあり、大河原峠への分岐点となっている。 この先は大岩ゴロゴロの急登となる。高低差は200m足らずだが、私は息がハーハー弾んで、標準コースタイムの倍~約1時間を要してしまう。 「この先急だよ、それに今から山頂へ向かうと帰りは日が暮れるよ」私は下山してきた男性に注意された。 もう午後の二時、日が傾きだしている。さらに先で私を追い越した二人連れからは、 「失礼ですが、おいくつですか」と私の年齢を聞かれた。日が傾いたこの時間に山頂を目指す単独の高齢者、しかもおぼつかない足取りで、危ないと見られたようだ。 衰えをストレートに指摘され、いささかのショックでありました。 無理はできないが未練は残る。14:45をタイムリミットとし、その時点で引き返すことを決心した。 岩場の急傾斜が続く道ではあるが、スパッと切れ落ちた個所がないので高度感や恐怖感はない。 少しづつ前進し、タイムリミットの14:45に山頂小屋へ到着した。 小屋の右上にガラガラとした山頂が広がる。絶頂点は標高点を指す山頂標識のさらに一段高い奥にある。 最高点の標高は2533~4mくらいか。 広い山頂の中央に蓼科神社奥社の小さな鳥居と祠があった。 大岩小岩がゴロゴロして歩き回る気が起きない山頂である。南東方面に雲が湧き出て、八ヶ岳や南アルプスを隠しているのは残念だった。 もう午後三時である。山頂には数人いただけ、小屋泊まりの登山者かもしれない、写真を撮り水分補給し、私はただちに下山開始。 従来私は登山計画を立てる際、下りの時間は上りの7割で組み立てる。今回もその時間割である。ところが近年下りで思うように時間短縮が出来なくなった。 バランスが悪く、遠近感が鈍り足元の距離感が合わないので、素早く足を出せない。そして脚力の衰え。スピードが出なくなった。 山頂を発つときはゴンドラの最終に間に合うと踏んでいた。下りもゴンドラを利用すれば予定したバスに間に合う、これが私の甘い判断だった。 蓼科山荘まで下りの標準時間は20分、ところが40分も費やした私がバスに間にあうことは絶望的となった。 もはや急いでも仕方ない。時折前方が開け、雄大な景色が飛び込んでくる。立ち止まり写真を撮る。 疲労で踏ん張りが効かなくなりズルッと滑りやすい。ゆっくり慎重に下った。もう誰とも合わない夕暮れ時。 駐車場にはまだ数台が残っていた、乗客は何処へ消えたのか? ゴンドラの乗車口はシャッターが下りていて人の気配がない。この先はなだらかな草原の散歩道。帳が降りるまでに少々間がある。 一人ベンチに座り、まったりと過ごす。急いでもスマイル交通の最終便まですることがないのだから。 景色を楽しみ山座同定にいそしむ。これは私の山の楽しみの一つである。山頂で出来なかったことがここで実現した。 スマイル交通の最終便は下校する中高生の為にあり、日曜祝日などの休校日には運行されない。このことは分かっていた。 バスが来るまで30分一人で待つ。日は完全に落ち、寒い。 バス終点の東白樺湖まで乗車したのは私だけ、この先茅野駅へ向かう乗り継ぎバスについてはバスドライバーも定かでなく、一緒に降りてくれた。 朝のバスを運転していた方で、お礼を云って降りた私のことを覚えていたのです。 アルピコ交通のバスは全て終了していた。 「ここはいいところだよ泊まっていきなよ、今日は空いているよ、タクシー代とかわらないよ」スマイルバスの運転手さん。 「知り合いに電話してあげるから」と。 私は心を動かされたが、JRのチケットを無駄にしたくない。 (普通は2日間有効の切符、中央線の新宿松本間は当日1日限り、客の利便性をJR東日本は無視しています) 「先ほど見かけたホテルでタクシーを頼んでみます」と告げたところ、マイクロバスでホテルまで送って下さった。 歩けば15分ほど、疲れた足には堪える距離だった。私は帽子を振ってバスを見送った。 ホテルのフロントも親切だった。タクシー到着まで40分くらいかかるので、運転手を案内するからと、ロビーのソファーをすすめてくれた。 家族連れやカップルなど浴衣姿で楽しそうに行き交うロビー、ホテルの名は【白樺リゾート池の平ホテル】と云います。 タクシー代7200円を支払い、茅野駅に着く。8:31の最終あずさ号にも間に合った。 何たることか!ビールがない。駅前の居酒屋は開いていた、30分足らずでは、あわただしすぎる。 車内販売に期待するしかない。自由席は空いていた。だが飲み物がない、水は所持していたが。 「飲み物いかがですかーー」間の抜けた声で車内販売が通りかかった時、列車は相模湖駅を通過していた。トンネルを抜ければもう八王子だ。私は腹の中で毒づいた、 「今まで何やってたんだ、くそったれ!!」 |