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禅頂行者道を行く 2009.10.19


錦秋の禅頂行者道

コース&タイム;
明智平展望台10:10~茶ノ木平分岐10:55~11:25鉄塔下11:30~細尾峠11:45~12:30薬師岳(軽食)
薬師岳12:50~14:05三ツ目14:15~地蔵岳14:30~15:00ハガタテ平15:10~16:40古峯神社
所要時間;6時間半、歩行時間;5時間45分
最高点;1618m
~茶ノ木平分岐付近

禅頂行者道(ゼンチョウギョウジャミチ)とは、日光開山の祖として名高い勝道上人が、天平末期から平安初期にかけて古峰ケ原(コブガハラ・鹿沼市)を拠点に二荒山(男体山)を開山するに至たった道筋であり、 その後山岳修験の行者達が行き交った山岳古道である。
今回の山旅でも、嘗ての行者道であったことを偲ばせる石祠・石像などの名残が散見された。
コース途上には休憩ベンチや階段ロープなどの人工物は見当たらず、山頂標識と最低限の行き先表示が設置されているだけの、修験行者の道程を当時のまま踏むことができる。
当日は自宅からギリギリ間に合う浅草発6:20東武快速を利用したが、朝から奥日光方面のバスは超満員、明智平ロープウェーも行列ができ、 紅葉真っ盛りの日光は平日でも朝から大変な混雑、この時期スケジュール通りにはいかないようだ。
大賑わいの奥日光を尻目に、私は世間から忘れ去られた錦秋の古道をただ一人、じっくり味わってきました。 と云いたいところだが、出足が遅れたことが響いて最終バスに間に合うか不安を覚え、時間に追われてしまった。
コースは、茶ノ木平分岐から細尾峠までは道がクマザサに覆われて足元が見えないので、木の根やツルに足を取られて危ない。
峠から先は、踏み跡程度の道だが、稜線上の一本道なので、迷う不安は薄い。
全体を通し岩場などの危険場所はないものの、長丁場でアップダウンの多いタフなコースだった。
古峰原神社発17:15の最終バスにはどうにか間に合ったが、いささか疲れました。
バスは東武新鹿沼駅経由でJR鹿沼駅までおよそ1時間の長丁場だが料金は400円と割安だった。JR鹿沼駅前の酒屋でビールと酒を仕込み、宇都宮始発の大船行き、湘南新宿ラインで帰路に着いた。





登山の起点は明智平展望台である。明智平は日光駅からバスで約40分、第二いろは坂の上部にある。
東武快速電車は下今市駅で鬼怒川方面行き前4両を切り離し、日光へは後ろの2両が向かう。途端に私の隣の中年客が前の車両に移動していった。 日光駅までまだ5分以上かかるのにずいぶん気が早い、まてよ?直ぐにその意味を悟った私もあわてて立ち上がり先頭車両前部ドアーへと移動した。 ドアー付近には既に何人かの乗客が移動して立っていた。いち早く行動した客はバスに座ることができ、グズグズしていた客の中からバスに乗り切れない者が出たのだった。
バスドライバーの話によると、昨日の日曜日は明智平まで3時間かかったとのことだが、今日は案外スムースである。
バス料金は観光地の路線バスということを割り引いても1050円と高い。東武電車の運賃は割安だが、東武バスの割高な料金で帳消しとなった。
展望台へはロープゥエーを利用する。歩けば僅か10分程の距離だが、特段危険とも思えないその間の通行が禁止されている。 ロープェーの売上を増やす算段のようで、はなはだ遺憾である。
バスを降りるとロープゥエー乗り場には既に行列ができていた。 ゴンドラは16人乗りの小さなもので、4分間隔のフル回転で運転していたが行列は遅々として進まない。歩いてしまえばわけないところだが、ここで30分をロスし、 バスの遅延と合わせて予定より50分遅れての登山開始である。展望台で身支度することは気が引け、喧騒から逃げるように山道に入る。他にハイカーは見当たらなかった。

登山出発地明智平展望台からの眺め、中禅寺湖右奥の高い山は白根山


道は整備された遊歩道かと思いきや、なかなか嶮しい山道である。急坂を登ると直ぐに小さなピークに着き、そこで身支度を整えた。
一旦鞍部に降り、そこから茶ノ木平分岐の最高点まで高低差230mを稼がねばならない。傾斜は急ということもなく、紅葉した広葉樹林帯を進む。中禅寺湖や男体山が時折望め、快適な道である。
途中、東電高圧線の巡視路を2ヶ所横切り、そちらが本線かのように引かれやすい。
傾斜が緩むと小さな展望台があり、"観瀑台"とある。だが梢がじゃまして華厳の滝は姿を見せない。
茶ノ木平から降りてきた数人のグループがガッカリした様子で、明智平展望台まで足を伸ばすことを協議していた最中に、ちょうど通りがかった私は意見を求められて困った。
観瀑台から僅かに登ると平坦地となる。其処は茶ノ木平の一角で、直きに細尾峠への分岐点に着いた。細尾峠を指す標識は小さくて見落としそうである。その示す方向はササに覆われていて明瞭な道筋がない。
訝しみながらも、私は獣が通った跡のような微かにササが掻き分けられたルートを見極めて進む。足元がまったく見えないので、木の根や石に躓くのが怖くソロソロと進んだ。
やがて篭石と呼ばれる、岩に石仏が祀られた場所に出た。道が間違いないことが分かり、一安心である。 篭石まではなだらかな傾斜だったが、そこから本格的な長い下りの連続となり、細尾峠までおよそ400mも高度を下げる。 出発して1時間以上歩き続け、背の低い高圧線鉄塔下で少し休むことにした。そこは周囲が開けていて、半月山の稜線と燃える山腹が望めた。


降り立った細尾峠は旧国道122号線と禅頂行者の道が交差する場所、旧国道の1192m最高点である。 この道は古川財閥の礎となる足尾銅山の物流経路として重要な役割を果たしてきたが、銅山の閉山とともにその役割を終え、 昭和53年に薬師岳の山腹を貫く日足トンネルが開通するに及んで廃道同然となり、今では峠の足尾側で完全に閉鎖されている。
狭いながらも一応舗装された道なので、日光側からは峠まで車の乗り入れは可能のようだが、その日は1台も駐車車両は見当たらなかった。紅葉最盛期のこの時季でさえ、うら寂しさが漂う峠であった。
私は峠を素通りし、薬師岳への登りに転じた。
最低鞍部の細尾峠から薬師岳山頂までは高低差220mのアルバイト、出足は痩せた尾根、その後山腹を巻きながら薬師岳山頂を通り越し、その先で主稜線に乗るのが正しいルートである。
ところが私は本線を見逃し、薄い踏み跡の直登ルートに踏み込んでしまった。 しばらく登るとその踏み跡も消え入りそうに細くなり、ルートを誤ったことを悟ったものの、引き返す時間が惜しい。私はそのまま直線的に山頂を目指すことにした。 やがて高度が増すに連れて傾斜は立ち上がり、木を掴みながらの苦しい登攀となって、体力著しく消耗し息があがる。山頂の一角に躍り出てもしばらく荒い呼吸は治まらなかった。 ルートをショートカットしたには違いないが、結局正しいルートが早くて安全で楽なのである。


“薬師岳”同一の山名は全国に多い。薬師如来の山岳信仰が各地にあったのだろうか?山頂には小さな石の祠があったが如来像は確認できなかった。山頂の標高は1420m、北側が開け男体山~大真名子山~女峰山など日光連山の眺めが良い。 もっとも、近い場所から眺める男体山の容姿はアバタが目立つ。南側は木々の間から夕日岳が大きい。
山頂から東に派生する稜線は三ノ宿山へ至り、地図には記されていないが踏み跡があるようだ。
山頂を後にして私は南に尾根を辿る。道は明瞭である。少し下ると右側から細尾峠からの、私が見逃した本線が合流した。 その道は見失いようがない確かな登山道で、私が見逃した訳を今となっては知るよしもない。
ここから三ツ目まで展望の効かない長い尾根歩き、小さな頭峰を次々と乗り越して行く。この辺りにはヤシオツツジが数多く植生し、静かな禅頂行者の道にも春から初夏にかけて花の季節には訪れる人が多いようだ。
三ツ目は1491mのピーク、その山頂へは苦しい登りである。1526mの主峰夕日岳は主稜線上から外れて三ツ目の東側に聳えているため、ここから往復しなければならない。 ここで30~40分を費やすと最終バスに乗り遅れそうで、私は少しの休憩で先を急ぐことにした。


本日最後の登りで地蔵岳に着いた。地蔵岳山頂1483mは黄葉した唐松が美しい場所、だが展望は悪い。そこから終着地の古峯神社に向けて高低差750mの長い下りが始まった。
地蔵岳からは尾根筋を離れてハガタテ平まで急傾斜の山腹をジグザグと急下降する。尾根を外れると心細いほど道筋が不明瞭になった。
ハガタテ平は峠状の鞍部で、平と云う名ほどには開けてはいない。直進すると唐梨子山~大岩山~行者岳~古峰ヶ原湿原へと行者道が続く。 引き続いてそのコースを1日で歩き通すことができる者がいるとすれば、嘗ての修験行者の生まれ変わりに違いない。
私は進路を左に折れて古峯神社へと向かった。道はそれまでの尾根筋から一変し沢筋の植林帯を下る。やがて細い水流が現れ、何本かの水流が合流するとたちまち渓流が出現した。 ひとしきり下り、両岸の稜線がが低く降りてくると、登山道は車が通れる砂利道の林道へと変わる。この林道はとてつもなく長い。はるか前方で山腹を大きくターンし下降して戻った林道が下方に見えている場所では山腹を直線的に降下したい誘惑にかられた。 私はバスの時刻に追われて、いつ果てるとも知れない林道に痺れを切らし、とうとう疲れた体に鞭打って駆け出してしまった。
林道のゲートを抜けるとようやく舗装された県道で、僅かに下ると古峯神社へ500mの看板を見、その左手は広大な古峯園(コホウエン)と呼ばれる古峯神社の美しい庭園だった。


古峯神社はフルミネジンジャと読む。地名の古峰ヶ原はコブガハラと呼ぶ。古峯神社を古峰神社と記したり、古峰ヶ原を古峯原と記したりもするようだ。 また地名の古峰ヶ原を古峰高原とも云うようで、この場合はコブコウゲンと読むのだろうか?バスの停留所名は古峰原神社(コブガハラジンジャ)となっていて、いささか混乱が見られる。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀る古峯神社は1300年の歴史を持ち、日光開山の祖として崇められている勝道上人が修行した場所として、日光全山寺院の僧坊は毎年古峯神社に参拝修行する慣わしとなり、神仏の信仰を問わずに繁栄してきたと云う。
明治の神仏分離政策によって各地の神社仏閣が打撃を受けたように、古峯神社も以降は神道一筋に各地で講を設け、各地から参拝する講中の為に350名をも収容する参籠宿泊施設を持つ神道の一大聖地となった。
私は今回の山旅を企てて初めて古峯神社の存在を知り、是非とも参拝したいと願っていたのだが。
夕暮れの門前茶屋は既に戸締りされていて、ビールにありつくこともかなわずに、時間も体力も気力も失った私は、一人薄暗い待合室に座りこんだ。

2009.10.27 掲載

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