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南 木 曽 岳

本編は山と渓谷誌2006.11月号読者紀行に掲載された作品です

 

黎明の中央アルプスシルエット、左奥から空木岳2864m~南駒ケ岳~越百山 避難小屋付近から撮影



2006年の夏、私は木曽三山の一つ南木曽岳(ナギソダケ)1677mに登り、その日は山頂避難小屋で泊まった。その変化に富んだ登山道といい、山頂の植物生態といい、実際の標高以上に高度感があり、避難小屋付近の眺望は素晴らしく、木曽三山に相応しい山だった。
今回の山旅は青春18キップを利用して、横浜から中央線、登山口の南木曽、東海道線と乗り継いで、乗車距離は700kmであった。

南木曽駅から保神へ向かうおんたけ交通バスは地元年配者の大切な足だ。日に5本の便がある。午後の一番バスに乗った私は車内で注目の的となってしまった。登山者はそんなに珍しいのだろうか? 降り立った尾越(オコシ)は、木曽の奥深い山間部にありながら開けた集落で、山里の暗さは微塵もない。各所に迸る水流と田畑が、緩やかな時の流れと生活の豊かさを醸し出している。
バスは人家の多い谷側の狭い旧道へ廻り込んで走っているので、まず国道を山側にまたいで、疎らとなった民家の脇を抜け、さらに渓流に沿って狭い車道を上流へ向かう。正面には目指す南木曽岳が厳然と聳えている。だが山頂は雲の中であった。
登山口への道標は無く、道は錯綜している。迷うのが当然で、正しい道順などよそ者に分るはずはない。方向さえ間違えずに上流に向かえばやがて道は合流して一本道となる。ようやくキャンプ場を示す矢印が現れた。
そもそもこの道を歩いて登山口へ向かう奇特なハイカーなどめったにいないのだ。大方はカーナビに誘導されて難なく登山口へ辿り着いてしまうのだ。
真夏の昼下がりの太陽に照らされたアスファルト舗装を歩くのは辛い。私は木陰を拾いながらペースを上げた。
キャンプ場を抜ける際、場内で作業中の婆さま数人に見送られた。
「山かいな、気ィつかれーナ、今からじゃ大変だで」
婆さまたちは私を気遣って声を掛けてくれた。
自分ではまだ老いたつもりはないが、重荷を背負ってヨタヨタと歩く姿は、頼りない老人が一人で山とは危なっかしい、と写ったに違いない。
事実その通りかもしれない。だが私は、
「今夜は山頂で泊まり、一人で宴会です」と見栄を張った。
休憩小屋のある登山口には小広い駐車場があり、ポツンと一台だけ車が止まっていた。
急いだつもりだが、ここまで予定通り1時間かかっていた。


小屋の裏から山道となる。直ぐに小沢を渡ったので1㍑ペットポトルに沢水を満たしておいた。他に飲料は500ccペット氷を持参している。これは保冷袋に入れてあるので半分はまだ氷である。保冷袋には缶ビール、日本酒も大切に納めてある。ペット氷は保冷材としても重宝だ。
しばらく樹木に囲まれた沢沿いの緩やかな道を行く。涼しくて快適だ。ご婦人とその子息らしい軽装の二人連れとすれ違った。山中で人と出会うのは私が初めてとのことだ。
「山を独占しました、昼時に上でしたが視界も良かったし、いい山でしたよ!」
「これから山は全てあなたのものですよ!」と言い残し、二人は確かな足取りで下っていった。駐車場の車は彼女らのもので、これで今夜は一人で過ごす事が確実となった。混雑するよりはありがたいのだが、たった一人で過ごす避難小屋の夜はひどく心細いことを私は承知している。
小沢を渡り道は分岐する。この先は上り下りそれぞれ一方通行の道となる。右に分岐するのは下山専用道で、順調なら明朝はこちら側から降りてくるはずだ。この分岐を境にして道は嶮しさを増してくる。 木製の桟橋や階段が頻繁に現れてきた。その桟木は朽ちかかっているものが多い。根拠などは無いが、100kgを超える加重は危険に見える。
私の場合、13kgの荷を背負って総重量は80kgだ。安全とは言い切れない、ソオッとソオッと足を運んだ。 重荷で重心が高くなり、少しバランスを崩しただけで倒れそうになった。とっさの踏ん張りが鈍ったようだ。長い車道を急いだのがジワジワと足に効いてきたか。登山道は益々急になり、傾斜の強い梯子にはロープが併設されるようになった。 私はとうとう呼吸が乱れ始めた。
ハーハーゼーゼー
適当な休憩場所が見当たらない。
ハーハーゼーゼー
岩陰から水が湧き出ている場所を見出して、ようやく休憩した。水場はここが最後だろう、たっぷり飲んだ。冷たく旨い水だ。
出発すると直ぐに息が荒くなる。おまけに心拍数が急激に増えて鼓動を打つ。
ハーハーゼーゼーバクバク
しまった、冷たい水を飲みすぎたか!大変な汗をかいている。
暫く立ち止まり息を整え再び歩き出すと、直ぐに始まる。
ハーハーゼーゼーバクバク
ペースが急激に落ちた。時計を見ると4時になろうとしていた。予定では4時半に小屋着だがとても無理だ。それどころか日没の心配が現実的となってきた。焦りを覚えた私は歩みを速めようと試みた。だがその効果は逆だった。
ハーハーゼーゼーバクバクバクバク
立ち止まっている時間が延びてしまった。
ハーハーゼーゼーバクバクバクバク、ハーハーゼーゼーバクバクバクバク
私は以前にもこういう状況を経験したことを思い出していた。その時は歩みを極端に遅くして乗り切ったのだった。
そうか、そうだったのか!「ウォークドントラン」だ!ザベンチャーズだ!このままでは本当に日が暮れてしまう。
それから私は歩幅を靴底の長さに縮め、梯子は1段に2歩掛けて、気長にゆっくりゆっくりと、だが休まずに進んだ。どうにかこうにかペースを取り戻したようだ。ハーハーゼーゼーバクバクは治まりかけていた。
面白そうな鎖場へ差し掛かった。切り立った岩稜は距離も長く、見るからに手強そうだ。そこには立派な桟橋の巻き道が造られていた。私はこれ幸いに躊躇なく巻き道を選んだ。
山頂には5時に着いた。山頂は際立った頂点ではなく、稜線上の小ピークといった場所で樹木に遮られて展望も無い。三角点と立派な石碑の山頂標識とテーブルがあった。私はこの場所が気に入り、20分ほど留まった。山頂の先に登りは無い理屈だ。そして明るいうちに小屋に入れるメドがついた。
私はこの場所が気に入ったというよりは、すっかり安堵したのだった。

避難小屋は、山頂から少し下って森林から抜け出し、森林限界上部のような笹の草原に薄く垂れ込めた霧の中からその姿を現した。
入り口の脇にはトイレがあり、小屋の中は土間を中心に、板敷きの床がコの字形に配置されていて、10人は充分収容できる広さがある。三方に窓があり居心地は良さそうだ。だが何日も掃除された形跡がない。
私は取り敢えず自分のスペースだけ掃いてマットを敷き、人がいないのを幸いにだらしなく寝そべった。しばらくそのまままどろみ時計を見るともう6時だ。暗闇になる前に食事を済ませ本格的に寝る仕度を整えておかなければならない。だが食欲が無い。そして起き出す気力も無い。
私は昼前に電車の車内で軽食を取って以来ここまで何も口にしていない。このままでは体力的にまずいので、まずビールを飲むことにした。そしてイワシの缶詰を開けた。飲み物は無抵抗に喉を通過した。ビールは充分に冷えていた。たちまち500ccを消化してしまい、引き続いて酒に手をつけたくなった。
私はこの間もだらしなく寝そべったままだった。このまま飲み続けると食事が取れなくなる。ビールを飲んで少し元気を取り戻した私は思い直して起き出し、コフェルに100円のレトルトカレーを開けて水を少し足し、沸騰したところへ持参したご飯を入れてかき混ぜた。残ったイワシも汁ごと全部入れてしまった。 カレーごった煮オジヤの出来上がりだ。疲れて食欲が無い時の食事として、このメニューは素晴らしい。他におかずはいらない。私は全て平らげてしまった。
ラジオとヘッドランプを枕元において寝袋をセットした。常夜灯代わりに夜釣りで使う電気ウキを衣類干し用ロープにくくり付けて一段落である。ラジオを点け、くつろいで酒を飲み始めた。500cc用意した日本酒は充分に冷えていた。だが食後の酒はすすまない。それでいいのだ、追加注文はできないのだから。 つまみにピリ辛のサラミを開けた。これもなかなかいい。ラジオの感度もよろしい。今夜はナイター中継がないので、番組は艶歌の生放送、坂本冬美が出演していた。これは大変よろしい。
星明りの無い夜は真っ暗闇、漆黒の霧に包まれた小屋は時折ドサッ・ガサッ・ドドンと不気味な音を発するのだった。どうやら目には見えない小屋の主が活動しているようだ。


翌日4時過ぎに眼を覚ました私は直ぐに外へ出た。冷えこんではいるが大した寒さではない。周囲の景色は暗闇から紫へと変わり、霧が消え明るさを増した空には星が幾つか消え入りそうに瞬いていた。今日は好天気のようだ。
私はカメラと三脚を手にして、未だ薄暗い足元をヘッドランプで照らし、夜露で濡れた笹薮を掻き分けて、少し先にある高台の岩へ上がった。
目の前に素晴らしい光景が広がっていた。
足元から薄紫に広がる雲海の奥に、中央アルプス高峰群のシルエットが連綿として青黒く浮かび聳え、空は山影から朱に染まりつつあって、その色彩の中心部から淡い黄線が四方に延び出していた。
「ウワァー」私は思わず歓声をあげた。
昨日の登りの辛さ、視界不良の口惜しさは消し飛んでいた。
そう、この景色と出会う為に私は山へ来たのだ!
御嶽山は残念ながらその姿を見せなかった。それでもいい、私は目の前の景色で充分だった。
三脚を据えてカメラのスイッチを入れた。とたんにバッテリー不足の表示が点滅した。私はあわてて予備電池を取りに小屋へ走った。もうヘッドランプは必要なかった。濡れた笹薮を一回半往復した私のズボンはびしょ濡れだ。それもかまわない。
私は何枚か撮影し、その後もその場に佇み続けた。黎明の山はその表情を刻一刻と変えるのだった。
私はご来光を迎えてから小屋へ引き返した。山の日の出は平地より遅れる。既に出発予定時間を過ぎていた。尾越を9時に出るバスに乗り遅れると本日のスケジュールが台無しになってしまう。私は急いで支度し、朝食を取らずに小屋を出た。それでも床を隈なく掃除することは怠らなかった。
高台まで来た私は振り返り、朝日に輝く小屋へ手を振った。
目には見えない小屋の主へ別れを告げたのだった。

山と渓谷誌2006.11月号より抜粋

2007.1.8 掲載

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