HOME コース 1日目;泉郷ホテル泊 2日目;ホテル=ヒエ平駐車場~一の沢登山口~笠原~最後の水場~常念小屋泊 3日目;常念小屋~山頂ー往路下山 歩行時間 2日目;5時間、3日目;6時間半 所要時間 2日目;6時間半、3日目;8時間半 古い友人4人で常念岳登山を思い立ったのは今から7年前の夏の終わりのことである。初日は相模原に集合し、日の傾く頃車一台に同乗して出発、その日は麓のホテルに宿泊した。 翌日は常念小屋で泊まる。最終日に山頂を踏んで往路を下山する2泊3日の行程である。雲上の山岳展望が深く脳裏に焼きつく、思い出の山旅となった。 初日の宿泊先は常念岳の麓、穂高温泉郷の高台にある高級リゾート【泉郷穂高ホテル】である。 当時各地で開業された泉郷グループのホテルはオーナー制度で運営されていて、メンバーの一人がその千六百分の1の持分で所有権を有していたので、年に数回優待宿泊ができた。 今回初日の宿泊にその優待券を利用させてもらったのだ。穂高ホテルを利用するのは今回が2度目で、前回は上高地散策の折に宿泊した。 部屋はコンドミニアムスタイルで宿泊費は無料、食事代は実費、酒は持ち込自由で、さらに不足分はホテル内売店で調達するので安上がりである。そもそもこの特権があったからこそ、登山経験の浅い我々が無謀にも北アルプスへ挑戦する気になったのだった。 当時は我々は50歳を少し越えた年齢、今でこそ還暦を迎えたメンバーもいるが、当時はまだまだ若く血気盛ん?だったこともある。 今回の登山リーダーは、千六百分の一のホテルオーナーであるSigeさんに敬意を表して就任していただいた。 出発当日はメンバーの一人Kenzoさんが勤務する相模原の事務所へ夫々の職場を早退して集合した。翌日は夫々有給休暇を取得、最終日は土曜日である。皆、勤務時間には拘らずに比較的自由に行動していた時代だった。さりとて、さほど出世していたわけではない。仕事よりも仲間の行事を優先していたのである。 作者も背広姿にザックを背負いトレッッキングシューズを履いて出勤し、早めに仕事を切り上げて、その姿で電車に乗って相模原に向かったものだった。 集合した相模原のオフィスはKenzoさんが最高指揮官だったので、我々は気兼ねなく事務所で着替え等の支度をさせてもらった。事務所の女性事務員から差し入れを戴いて、リーダーであるSigeさん自慢の愛車レガシー3㍑に全員同乗して出発した。燃費の悪い4WD車である。 ところで、我々は酒にだらしがない性質を共有している。その中でAkioさんのだらしなさは特に秀でている。共に後部座席に座った作者に、 「ぬまっチャン、いい酒持ってきたから少し味見しない?」などと猫なで声で盛んに誘惑してくるのだった。 レガシーはハイオクガソリンをたっぷり飲み込んで大量に排ガスを撒き散らしながら中央自動車道を疾駆する。順調に長野自動車道に入り塩嶺トンネルを抜ける。みどり湖の長い下りに差し掛かる頃、タイヤの走行音が参参七拍子に聞こえる区間がある。私はそのことを皆に伝えたのだが、理解されなかったようだ。実際体験して納得してもらった。 豊科インターで降り、途中食事を取ってホテル着は21:00頃。夜間走行で多少道に迷い時間をロスしたが、予定時刻の到着だった。 この日は適当に切り上げ早寝するはずだった。だが結局全員深夜まで飲み続けてしまう。 朝食はバイキング、今日は常念小屋まで5~6時間の行程なので、ゆっくり食事した。 前回宿泊した際は、サランラップにバイキングの塩ザケ・ウメボシ・ノリ・サラダ・玉子焼き・ツケモノなどと、 ご飯を包み込んで袂に隠して部屋に持ち帰り、おむすびをむすんで昼の弁当を作ってしまった。Kenzoさんの発案である。 今回はホテルオーナーであるリーダーの品格を傷付けないように自粛した。各々が昼食を用意していたからでもある。 売店で今夜山小屋での水割り用に氷を仕入れ、大きなテルモスに小割にして収納した。担ぐのは私の役目である。 9時頃宿を立ち、僅か10分で登山口となるヒエ平の駐車場に着いてしまった。 30台位の駐車スペースがある。シーズン週末はすぐに満車となるようだ。その日は5~6台だったが、翌日の土曜日に下山した際は車で溢れていた。 20分ほど車道を歩き、簡単な登山者施設とトイレがある場所で登山届けを出し、いよいよ山道となる。天気は曇りだが雨の心配はなさそうだ。 渓流釣り師が一人、我々を追い抜いていった。 道は樹林帯の中を穏やかに進む。 ところが1時間も経たないうちに、最後尾を歩いていた私は平坦な道にかかわらず、遅れ出してしまう。 「二日酔いだろ、飲み過ぎだよ、ゆっくり歩けばそのうち回復してくるさ」と、皆は云う。ところが私は体に異変を覚えていた。 胸が苦しくめまいがし、そのうち歩くのが辛くなってきた。 「ちょっと止まってくれ、心臓がバクバクだ、フラフラする」ようやくことの深刻さに気付いて皆戻ってきた。 私はかねて心電図に異常があり不整脈が疑われていて、時折期外収縮を自覚することがあった。しかし今回のようなひどい症状は初めての経験である。 脈拍が不規則に、しかも200回/分以上の頻度でドドドドドと打つのだ。いわゆる心房細動を起こしていた。 「大変申し訳ないが登山を断念したい」 「登山口までならなんとか一人で戻れるので、タクシーを呼んで電車で帰ることにさせて下さい」 「皆さんはどうか気にせず山頂を目指してください」私は弱々しく皆に告げた。 この時点で私が原因で今回の山旅を台無しにしてしまうことが決定的に思えた。 暫らく沈黙の後、 「まあ待って、ぬまさん一人返すわけにはいかないよ」 「山をあきらめるときは全員であきらめようよ」こう取りなしてくれたのはKenzouさんである。 だが明らかにシラけた空間が周囲を支配した。 「ぇーい休憩だ休憩!」こう投げやり的に号令し、サッサと一番すわり心地のよさそうな切り株に腰を下ろし、飲み物を取り出したのはリーダーのSigeさんである。 ありがたいことに、この30分の休憩中に私の発作はウソのように治まり、その後むしろ快調になったのである。 今回の症状はその後も時折発症するようになったので循環器科で検査したところ、心臓の信号伝道経路に異常が認められるWPW症候群という症状らしいことがわかり、 今では自らいきんで発作を鎮めるすべを心得ている。なお病気の詳細については本題ではないので省きたい。 さて、気持ちを切り替えて再出発。登山道は概ね一の沢に沿って付けられているので水が豊富である。水筒無しでも小屋までたどり着けそうなほどだ。 登山口から小屋までの高低差は約1200m、我々にとっては厳しい行程である。私の再発を恐れて、皆ゆっくりと落ち着いたペースで進んでくれた。 作者の負け惜しみと取られても仕方ないが、心臓発作ハプニングのおかげで最適な登山ペースが作り出され、皆さして難儀することなく稜線へたどり着くことができた、と云えないこともない。 「さっきの発作、ありゃ昨日飲み過ぎたせいだよ、やっぱり」 「ぬまっチャンは酒にだらしないからな、だからほどほどにしときなさいと云ったんだ」Akioさんにこう云われては身も蓋もない。ご心配をおかけいたしました。 笠原と呼ばれる川原が開けた場所で昼食休憩とした。パーティは活気を取り戻し、すっかり明るい雰囲気になっていた。私の不安も大分和らいだ。 小沢を渡り道は傾斜を増してくる。胸付八丁は急な上に狭い。万ヶ一転ぶとただ事では済まない場所である。ヘラズ口を引っ込め慎重に歩く。周囲はガスで視界が悪い。高度を稼ぎ雲の中へ入ったようだ。 丸木橋を渡り、最後の水場である。水は豊富に迸っている。大変冷たく旨い。この先沢筋から離れて急登となる。第一~第三ベンチと呼ばれる休憩場所が20分毎に現れ、我ら軟弱パーティにとってあつらえ向きである。 第三ベンチのあたりで霧が晴れた。雲を突き抜けたのだ。空は雲ひとつ無い青空となる。 突然、本当に突然稜線上に躍り出た。槍ケ岳が目に飛び込んでくる。これまでの辛苦が吹き飛んでしまう。 ぅをォーヤッター!! 常念岳から大天井方面へ縦走中なのだろう、単独の女性が足早に通り過ぎていった。雄大な景色そっちのけで我々全員の目が後を追いかけていく。一瞬の内に魅力溢れる若い女性であることを全員が見て取ったのだ。 「オイオイ、KenzouさんAkioさん、後を追ったらだめだよー、今日我々は常念小屋泊まりだよー!」 「オーイAkioさん、汗を拭く前にヨダレを拭きなさい!」 山小屋のある常念乗越は常念岳と横通岳の鞍部で標高2450m、山頂まで残す標高は400mの地点である。眼前に槍穂高の稜線が大迫力で迫っている。周囲はハイマツとシラビソ林で落ち着いた雰囲気、また高山植物も豊富とのことである。 常念小屋は大正八年開業で、北アルプスの中でも老舗的存在の大きな山小屋である。赤い屋根が印象的だ。水は大分下の沢から短時間のみポンプアップするようで、貴重品に変わりは無い。 テント場は稜線付近にあり、その日も数組のテントが張られていた。 我々には7.5畳ほどの個室があてがわれた。宴会するにはありがたい。17時半からの夕食まで2時間ほどの間がある。早速ビールを飲みながらくつろいだ。 夕食はほぼ満席、入れ替え無しで済む客の入りである。人気の高い小屋なのでこれでも空いているほうなのだろう。献立はポテトサラダにチャーシュー、スープなど和洋中折衷のごちそうである。 我々は従業員にあいそ使いして、日本酒5合紙パックの持ち込み許可を得てしまい、晩酌を楽しんだ。もっとも他の客の手前、茶碗に隠し注ぐように気を使い、紙パックは目立たぬよう床に置く。 食堂での飲酒は原則売店で購入したものに限られることに配慮したのだ。 食堂でダラダラと飲み続けることは避けて、数組の客が残っている時点で我々は部屋に引き揚げ、ウィスキーのボトルを開けた。発作を起こしながらも執念で担ぎ上げた氷の出番である。 氷は残り少なくなると途中で引っかかり、出にくくなる。貴重な氷を平等に分けるために各人が1回だけ魔法瓶を逆さにし、氷が出てこなかった場合は隣に回すことをルールとした。 こうして魔法瓶はカランカランと4人の間を回り続けたのである。 ほどなくウィスキーボトルが空いてしまった。ここまで缶ビール8本、日本酒5合、ウィスキーボトル1本。まだ消灯には早すぎた。一旦外に出て手が届くような満天の星空を眺め、売店でワンカップを8本購入し宴会の再開だ。 ところで、高地では酔いが早いことを我々は知らなかった。まして前日も深酒し、本日は疲れた体だ。私はワンカップをさらに1本空けたあたりで大分酔いを覚えた。 その時リーダーが突然号令を下した。 「明日の登頂は中止する。今晩は徹底的に飲んで明日は此処より下山することに決めた。以上!!」 私とAkioさんは顔を見合わせて、おもわず頷いてしまった。ところが、 「君たちは何を言っているのだ!何しに此処まできたんだ!大バカモノ!」大変な剣幕で一喝したKenzouさんは、残った全員のワンカップを取り上げてしまった。 さすがのリーダーもその剣幕に恐れをなして、消灯前だがトイレを済ませてフトンに潜ってしまう。私も用を足し、フトンに潜り込んでたちまち寝てしまった。 安曇野の平地から眺める雄大な北アルプス常念山脈、その中で一際目立つ三角錐の主峰が常念岳である。私は何回かその辺りを車で通過したことがあるが、雪の時期は必ず立ち止まって常念岳を眺めたものである。 深田久弥氏は百名山の中でも金字塔と呼ばれるに相応しい山の代表として、この常念岳を挙げている。 常念=情念に通じるようで、その名前にも惹かれるのだろうか? 多くの登山者の人気の的である。中房温泉から大天井~横道岳~常念岳~蝶ケ岳~上高地と結ぶ縦走コースが、表銀座コースと名づけられていることからもその人気ぶりが伺える。今日はいよいよその頂に立つのだ。 さて、睡眠時間充分の我々は日の出前に起き出し、全員でご来光を迎えた。常念山脈を境にして安曇野側は大雲海、梓川側は雲ひとつ無い快晴で、穂高・槍の稜線が目前に青黒く聳えている。 地の端を地平線、海の端を水平線と呼ぶが、雲海の端は何と呼んだらよいのだろうか?それほど果てしない雲海が安曇野側には広がっていた。 その雲平線とでもいうべき先端が赤く燃えて、やがて日が昇った。素晴らしい光景だ。山側に目を転じると槍の穂先が赤紫に染まる。初めて目にする本物のモルゲンロートだ。 再び雲海側に目を転じると、島のように浮かぶ八ヶ岳の影が雲上に薄く翳り、とてつもなく長い尾を引く。息を呑む光景とはこのことだったのか! 我々は忙しくあちらこちらへ眼を転じ、シャッターを押すのも忘れがちであった。 6時からの朝食をしっかり取って出発準備だ。サブザックに水と副食を少々、あとはカメラ・地図程度の軽装である。 いち早く支度を終えたリーダーは、全員が揃うのを待たずに出発してしまった。 昨夜のことを恥じたのだろうか?---いえ、我がリーダーはそんな繊細な神経は持ち合わせていません。単にせっかちなだけですよ。 山頂に思えた小屋から見えるピークは山頂ではなく、真の山頂はもっと大分奥である。ガイドブックによる山頂までの所要時間60分は、高低差400m登ることを考えるととても無理だ。ここは1時間半は見たい。 今日の我々はパーティの体をなさず、各自バラバラに行く。リーダーの姿はすでに小さくなっていた。もっとも最初のピークを過ぎると嶮しさが増す岩稜地帯となるので、落石から身を守るには散って歩いた方がよさそうだ。 三点確保で攀じ上がる場所も多くなった。しばらく緊張した登りが続く。前常念方面への分岐を過ぎると傾斜は緩まり山頂は近い。 山頂には9時少し前に着いた。山頂は狭い。シーズン週末は渋滞しそうである。幸い当日は僅か数組だけで、それもすぐに蝶ケ岳方面へ下ったので、その後我々が山頂を独占した。 山頂からの素晴らしい展望を全員で共有する。共有することによって感動はさらに膨れ上がった。 目の前は穂高連峰だ。山小屋周辺からは見えなかった、蝶ケ岳及び大天井方面の展望も開けた。360度見渡す限り山々山である。 私には同定できなかったが、鹿島槍・白馬岳、立山・剱岳まで視野にあるようだ。乗鞍岳・御嶽山はすぐに確認できた。 安曇野側は、霧ケ峰・八ヶ岳などの高峰群が雲海に浮かぶ島々のようである。一生脳裏に焼きつく景色であった。 Kenzouさんがザックから何やら取り出した。昨晩取り上げたワンカップ酒2本だ。1本は封を切らずに山頂の小さな祠に奉献し、登頂の感謝を込めて拍手を打つ。残りの1本を少しづつ全員で飲む。登頂成功の祝い酒だ。 Kenzouさん、えらい! 私は山岳展望が大好きでいつまでも眺めていたかった。せめてもう10分でも眺めていたかった。だが無情にもリーダーは下山の号令を下した。今日は山頂から一気に1,600m下るのだ、グズグズできないことは確かである。 山小屋の前からKenzouさんが足を引きずるようになった。相当に痛そうだ。だが休み休みだましだまし下るより他に方法がない。Sigeさんも足を引きずりだした。こちらは登りを飛ばしたツケが回ったのだ。 そういう自分も無様な姿のようだ。当初心配していた運動不足のAkioさんが一番まともに歩いていたのには驚いた。 だがそれも途中までだ。午後の日が傾いた頃ようやく辿り着いた最後の林道では、4人の敗残兵が亡霊のようにヨロヨロと進むのだった。 姿は敗残兵でも皆の心は錦で輝いていた。 常念岳は一生の思い出となるおじさんたちの青春登山となった。 あれから7年過ぎた今でも、この仲間が集まると常念の思い出話で盛り上がる。 「ぬまッちゃんのあの発作、ありゃ前の晩に飲みすぎたせいだよ、やっぱり!」 |