HOME


本社ケ丸2


被っていた毛糸の帽子が頻繁に枝に引っ掛かり脱げてしまう。煩わしいのでザックに仕舞った。私の頭部は毛がないので無帽だと擦過傷ができやすいのだがこの際仕方ない。最も神経を使うのは目を小枝でやられないよう防護することだ。
極端にスピードが落ちた。勾配が段々きつくなる。腕力を併用しないと上がれなくなってきた。掴む枝はいくらでもある。高度を稼ぐにはかえって都合が良い。ラジオでは自民党の平沢勝栄議員がネッチリと質問していた。 私は聞いてるような、いないような、音が聞こえていればそれで良い。息があがり苦しい、水を飲む。水の消費が激しい。水1L、他にテルモスにホットコーヒを用意していたが既に半分ほど消費した。
足元にコーラ瓶が落ちていた。今では見かけない原型のガラス瓶だ。十数年以上も前の物だ。こんな所にも人が入っていたのだ。それにしても、よく埋もれなかったものだ。少し安心した。
急に足元が滑るようになった。おまけにストックが効かない。異変を感じて足元の枯れ草をどけると、その下は氷だった。残雪は少ないのでその点安心していたのだが、ヤッカイな事態となった。
直ぐにスパイクを装着しよう。だが平坦地がない。仕方ないので潅木に背を委ねて、窮屈な姿勢で作業する。
アッ!シッしまった!ザックが転がり始めた。反射的にストックで止める。水も食料も地図もサイフも、青春18きっぷまでもがザックの中だ。
フーッ危なかった。ザックを失うことは致命的打撃だ。もっと慎重に行動しなければだめだ。
普段は簡単なスパイクの装着が旨くいかない。気が動転した私はヒモの締め方を失念してしまったようだ。
心臓が鼓動を打ち始めていた。
‘ほんとうに申し訳ありませんでした’
何を云ってやがる、コッチはそれどころではない、謝られてもどうにもならん!ラジオである。
私は潅木を背にして凍土の上にベッタリと座り込んだ。服の汚れなどかまってられん!姿勢が安定した。水を一口飲む。今度はスパイクを簡単に装着することができた。ヤレヤレ、念のためサイフをザックからファスナー付きのポケットに移し、気を取り直して再出発した。



通り抜けたヤブを振り返る


密生した雑木林を抜け出し、くぼ地状の開けた場所に出た。主稜線が目前に迫る。今度こそあの上には間違いなく登山道がある。高低差にして、残り僅か30m足らずだ。
だが、そこは崖だった。
私が辿ってきた尾根はこの辺りで一番長い主尾根である。そこに登山道を切らなかった訳は、最後の主稜線への取り付き部が厳しかったのだ。今さら理由が解っても遅すぎた。
崖を観察する。斜度は50~60度か。足元が氷でなけレバ攀じ上がれないこともない。レバタラを云っても仕方ないが、ツイ愚痴が出る。滑り止めを装着していても、この角度では両手の支えがない限り、滑落するのは目に見えていた。
主稜線は清八峠方向へ一旦下がっている。現在地から再びヤブに突っ込み、水平移動すると清八峠側の鞍部へ乗ることができそうだ。しかし水平距離は200~300mはあり、尾根筋を外れてトラバースするのは危険すぎた。
ここが正念場だ。
私は既に此処を攀じ上がる決心をしていた。他に方法がないからだ。ストックを仕舞う。ラジオを消す。手袋も脱いだ。
足元は岩場ともザレ場とも違う、脆弱な草付場で、点々と潅木が生えている。潅木を拾いながら手掛かりとして稜線へ達するしかない。途中で行き詰ると相当に危険だ。
私は念には念を入れてルートを探り、さらにイメージトレーニングを繰り返した上で、崖に取り付いた。
4歩、5歩までは目測通りに上る。近くから観察した場所なので当然だ。
次に両手で潅木に掴まり、片足を上部のくぼみに引き上げ、その引き上げた足を支点にして下方の足を引き上げようと力を入れた。とたんに、上方の足が滑った。たちまち腹部が接地し瞬時に上半身が滑り、腕が伸びきって全身ブラ下がり状態となってしまった。
私は滑る直前の足場に戻ろうと必死に足をもがいたのだが、ブラ下がったうつ伏せ状態では目測ができず、簡単ではない。体制の立て直しに手間取り、その間懸垂状態が続いた。この先脚力に頼るのは危ない。体の引き上げは主に腕力に頼ろう。 その為にはしっかりした支点となる潅木が絶えることなく山稜まで繋ながることが絶対条件だ。祈るような気持ちだった。


見上げると、稜線に手が届きそうだ。残り僅かに10m足らずだ。岩壁を攀じるクライマー的快感を感じ一人悦に入る。
右手・右足を支点に体を引き上げ、直ぐに潅木を掴み三点確保すべく左手を伸ばした。目一杯伸ばした。
ところが僅かに手が届かない。あと20cmどうしても届かない。その結果左手と左足が宙に浮いたままの状態になってしまった。足を踏み変えようにもそのスペースがない。
つい今しがたの慢心を後悔した。
凍りついた崖上で、右足は背丈僅か数十センチの細い頼りない木の根元にかろうじて確保されているだけだ。潅木を掴んでいる右手を離すと確実に滑落する。左手・左足は置き場がないままブラブラしている。全く身動きが取れなくなってしまった。降りることもできない。
私はなすすべもないままに、くだらないことを考えていた。
今の状況を4文字熟語で表せ、という問に答えていたのだ。
‘絶体絶命’‘進退窮る’‘危機一髪’‘起死回生’始めのうちはくだらないながらも、まともな熟語が浮かぶ。
‘行方不明’‘捜索願い’‘自己嫌悪’‘山と警告’‘疲労凍死’そのうち自虐的熟語ばかりが次々と浮かぶ。
‘捜索難航’‘安否絶望’
エエイ!こうなれば‘一か八か’だ。ヤケクソだ。
----ん?、そうか、これしかない~イチカバチカだ!このままではいずれ落下する。
方針は決まった。私は下方を確認した。落下した場合のダメージを予測する為だ。重症になる確率は低そうだが無傷では済むまい。骨折捻挫程度の覚悟は必要だ。
大声を出せば稜線の登山道まで届く、だが登山者が通る頻度は稀だろう。仕方ない。
イメージを作り上げる。一か八かの一回限りのチャンスだ、大胆に且つ大切に慎重に、自分に言い聞かせる。
左足を微かに氷上に顔を出す小木に掛け、出来るだけスパイクを食い込ます→体重を左足に掛け僅かに上体を引き上げる→一瞬右手を離し即座に伸び上がり左手で潅木を掴む→一気に左手を曳きつけて右手も同じ潅木に移し両手で掴む→右足を上部の凹みに移し三点確保し左足を潅木の根元へ引き上げる。
イメージは完成した。だが、左足が滑ればそれで終わりだ。体がこわばり動かない。機が熟すのを待つ。
やがて、自分自身で号砲を撃った。数秒で勝負はついた。
上部の潅木の上に自分の身柄は確保されたのだった。


這い上がった稜線は、清八峠と本社ケ丸の中間点の小さな鞍部だった。
そこには明瞭な踏み跡があった。間違いない、登山道だ!確信はしていたものの、ジワッと感動が湧いてきた。
いや、感動ではない、安堵感だ。
こんな場所の崖下から人が這い上がってくるのを見た者は何て云うだろう、逃げだすかも知れないな、誰もいないのが残念だった。
縦走する気力はとうに萎えていた。でも山頂だけは踏んでおきたい。本社ケ丸への縦走路はヤセた岩尾根で、難易度の高い道である。小ピークを3~4ヶ所乗り越えて山頂に達した。私は相当に疲労したことを自覚した。ここまでは緊張の余り、疲労を感じていなかったのだ。
山頂は狭いが360度の大展望だ。ゆっくり休息したかったが、食欲がない。水も残り少ない。その上、西の空から厚い雲が広がってきた。電車の時刻も気になるし、早々に引き上げることにした。
下山時に登山口で何故道を見失ったかを検証しておきたかった。たとえ予定した電車に乗り遅れようとも、それだけは確認しておくつもりだった。
清八峠からの下山路は、上部では残雪が覆い、中腹から下はぬかるんでいた。途中の展望ベンチから東側の大きな尾根を眺め、数時間前にはあそこで悪戦苦闘していたことを思った。
降り立った小沢で水を汲み、泥まみれの靴とスパッツを洗い服の汚れを落としていると、パラパラと大粒の雨が予報に反して落ちてきた。
私は折りたたみ傘を広げ、足早に笹子駅を目指して林道を下った。
山中、最後まで人と出会うことはなかった。    2006/4/1 記

前ページへ
索引へ 、 登山歴へ