HOME コース&タイム; 導了尊バス停8:00~8:25奥の院8:35~裏登山道(途中休憩10分)~10:30明神ケ岳(1169m)(昼食)11:00~ 明星ケ岳(924m)12:10~ 12:10(山頂先の展望地)12:20~13:10鉄塔13:20~13:45(山頂手前の展望地)14:00~ 塔ノ峰(566m)14:00~14:30阿弥陀寺14:35~15:00箱根湯元駅 所要時間;7時間00分 、歩行時間;5時間40分 父親の容態がおもわしくない状況が続いたために、連絡が取れない場所への外出や遠出はしばらく控えていたのでした。それも前月末になって、親戚縁者大勢で賑やかに悠久の旅立ちを見送りました。88歳でした。酒を愛し賑やかな席が好きなオヤジでした。 そんなことがありまして久し振りの山歩きとなり、選んだコースは箱根外輪山。私にとって一部未踏区間があり、手軽なようで案外歩きがいがありそうな、明神~明星~塔ノ峰。 これに金時山を加えれば完璧な外輪山縦走と云えるのでしょうが、あいにくそこまでする義理も意欲も当方は持ち合わせておりません。 稜線には意外にもたくさんの花々が咲いていて、富士山が姿を見せない悔しさを幾分たりとも慰めてくれました。懸念していた膝も悲鳴をあげることなく、充実した山歩きとなりました。 伊豆箱根鉄道大雄山線終点駅である大雄山のバスターミナルは駅前広場でなく、その右隣にある。バスの停留所名は、鉄道駅名の大雄山ではなく関本と云う。 駅前広場から出発するバスは富士フィルムの会社関連が主なようで、そこでいつまで待っても各地方面行きのバスはやってこない。 導了尊行き始発バスは乗客一人と朝刊各紙十数部を乗せて定刻7時48分に出発し、老木が聳える杉並木の参道を登り、仁王門を経て8時に三門に到着した。 ドァーが開くやいなや客が降りるより先に新聞を受け取りに乗り込んできた土産物屋のオバサンは、客が先だと運転手にたしなめられ、あわてて通路をあけながら詫びを云う。平日の始発バスは日頃から朝刊だけが客なのだろう。 「お早いですね、どちらまで?」 「湯本まで歩いて行くつもりです。長丁場なので早立ちです」 「導了さんは広いですよ、朝は気持ちいいからゆっくり見て廻って、お帰りに寄ってらっしゃい」 どうやら私が山を越えて湯本まで歩くという行程は認識されなかったようだ。 導了尊は、当山の開山発展に尽くされた相模房導了尊者という修験僧への絶大なる人々の崇拝がその名の由来であって、正式には大雄山最乗寺と号し、越前の永平寺、鶴見の総持寺、両本山に次ぐ格式が高い寺で、曹洞宗の古刹である。 明神ケ岳への一般的なコースは、その本殿手前から左に折れ高下駄を通り過ぎて登山口となる。私はそのコースは2回歩いているので、今回は奥ノ院裏手から入り、一般道の尾根より1本西側の尾根を登る、云ってみれば裏道ルートを選択した。 こちらのルートはネット検索でもほとんど登場しないので、道の状況に多少の不安は感じたのだが。 誰一人としていない境内に踏み込む。大気は霊気に満ちて肌寒い。本殿で賽銭を投げ登山安全を祈願する。 荘厳なたくさんの仏閣を経て最奥へ進む。奥ノ院へは350段余りの急な石段を登らなければならない。登山モードに切り替わる前の体には相当きつい。 この石段には踊り場がないので一気に登らなければならないのだった。奥ノ院のベンチで一息入れながらスパッツを着け身支度を済ませる。 奥ノ院から尾根に乗るまでの短い区間は真新しい丸太で整備された道である。寺院側の配慮なのだろう。尾根道と合流すると案外しっかりとした踏み跡がついている。どうやら迷う心配はなさそうだ。 周囲はモミジが多い林で、11月中旬が紅葉の見ごろだろうか。 30分ほど緩やかに上ると舗装された林道に出る。地図では林道を横断して直線的に破線ルートが記されているのだが、実際にはその先が途切れ、右か左か迷う場所である。 よく見ると左先方の舗装上に白ペンキで小さな横断歩道が描かれている。そちらへ移動すると案の定、登山道が繋がった。車はめつたに通らない林道に横断歩道とは、ハイカー用の目印としてシャレてみたのだろう。 谷を隔てた東側の一般登山道は広く切り開かれていて人工的匂いが濃い道だ。こちらは側は植林と広葉樹の木立を縫うような踏み跡がルートを示す自然道である。 落ち葉と土の感触が心地よく、自分好みの山道である。 突然ドサッ!という大きな音に驚いてそちらを見ると、鹿が2頭駆け去って行った。その後大きなサルも間近で見た。箱根と雖もこの辺りは深山の趣がある。 所々で枝分かれする小道があるのだが、枝道側にテープなどで通行止めの目印が付いている場合が多いので、間違う心配は少ない。それでも尾根を外さぬように注意した。 やがて抉られた歩きにくい溝状の区間が300~400m続く。雨水の通り道となってしまったのだろう。一旦溝ができると大雨の度に土が流され加速度的に深くなる。 ヒメシャラの群生を抜けて灌木帯に入ると稜線は近い。 この間、手書きの標識がわずかにあるだけで、ベンチなどの人工物は一切ない。裏道に相応しいコースだった。 稜線に出る。明神山頂まで10分ほどの矢倉沢峠寄りの場所である。稜線には外輪山を結ぶメインコースが通じている。一気に周囲は開けて明るくなった。 私はストラップで首からブラ下げていた老眼鏡を途中で失っていた。眼鏡なしで地図を読むことは不可能だが、ここまで来ればその必要はあるまい。不自由なことはカメラの液晶画面がよく見えないことである。仕方ないのでその後はカンで撮影した。 稜線上には花がたくさん咲いていた。これは意外なことだった。私は花の教養がないので、10月に入り花は少ないものと思っていた。 白・黄色・ピンク、そして青紫など様々な花。アザミ、リンドウ、トリカブトは自分にも分かる。トリカブトは群生している場所があった。 明神ケ岳は10年ぶりである。山頂では植栽が失われ、土が大分流出したようだ。標高は今回コースの最高点1169mだが、0.5mほど低くなったのでは?実際現在の最高地点は山頂よりやや西側にある。 展望は雄大だ。宮城野から仙石へかけての温泉街が箱庭のようである。大涌谷の噴煙は目と鼻の先。金時山と富士山が重なるはずだが、富士山は雲の中だった。 北側へ移動すると、丹沢山塊が横一列に見渡せ、その右手前には松田から国府津にかけての市街地が広がり、さらに右手には相模湾が眩しくひかっていた。 私はたった一つのベンチを占領し、軽食をとりながら展望を楽しんでいたのだが、矢倉沢峠方向から夫婦連れが到着したのを契機にその場所を彼らに明け渡すことにした。 宮城野分岐鞍部への下りは足場の悪い溝を急降下するいやな場所、それもわずかで再びのびやかな稜線歩きとなる。 分岐から明星ケ岳までは概ね平坦で、箱根側の展望が良くお花が多い。歩くのが楽しい道である。振り返ると、明神が大きな半月形となり、大分遠ざかる。富士山がいっこうに姿を見せないことは残念だが、右手に聳える箱根最高峰の神山が姿を見せ続け、その分補ってくれた。 登り返した明星ケ岳は展望のない平坦な山頂である。小さな祠が祀られ、その上には御嶽大神と彫られた立派な石碑が建立されている。見栄えのしない山頂だが、御嶽山信仰があったのだろうか? 山頂の手前を宮城野方面へ少し下ると、毎年8月16日盛大に行われる大文字焼きの場所がある。明星ケ岳はむしろ大文字焼きの山として知られている。 明星ケ岳から塔ノ峰へは東に進み、のびやかな稜線からやがて中低木の樹林帯をダラダラと下る展望のない退屈な道に変わる。飽きるのでラジオを点けた。イヤホーンで聴く。小ピークから先は南東方向へ進路を変えグングン下る。 鉄塔下で小休止し、ようやく林道へ降り立った。この間がとても長く感ぜられたが1時間余りにすぎない。 小さな標識に従い林道を左折し900m、塔ノ峰登山口がある。バイクで来た年配者の男性が支度をしていたので挨拶を交わして先に登る。 塔ノ峰の山頂は展望のない平凡な場所である。少し手前に北側が伐採されて開けた場所があり、そこで小休止した。年配者が追いつき改めて挨拶を交わす。小田原に住み、この辺りは隈なく歩き尽くしている人だった。 伐採地には苗木がたくさん植えられているのだが、この先輩を中心とした仲間のボランティアによる仕事で、植林の針葉樹と針葉樹の間に広葉樹林帯を作り、植栽を豊かにすることを目的としているとのことだ。 時には地元の児童にも作業への参加を呼び掛けているとのことである。また、此処から北下方に少し見えている塔ノ峰青少年の家の森林整備もボランティア活動で行っているとのこと。定年後の過ごし方としてのお手本である。 「お元気でご活躍下さい」と辞して塔ノ峰の南斜面を阿弥陀寺へと下る。山腹を巻きながらやがてジグザグと下り、最後は鬱蒼とした竹林を経て寺の境内へ降りる。 浄土宗の阿弥陀寺はアジサイ寺として有名、また皇女和宮の御位牌を祀る寺としても知られている。なかなか古風な佇まいで、写真愛好家にとって、石仏、花、本堂、参道、裏山の竹林など被写体に不自由しない境内である。 阿弥陀寺からの最寄り駅は塔ノ沢だが、箱根登山鉄道に一区間だけ乗るのが面倒なので、小田急の箱根湯本駅へ下った。こちらは車道を下る。改良工事中の湯元駅は観光客でごった返していて、箱根の人気が改めて窺えた。 白色の最新ロマンスカーが入線する。折り返し新宿行きとなる。乗客が降りたらいったんドァーを締めて車内清掃と座席を回転させるので乗車しないよう再三アナウンスされていた。 ところが乗客が降り切る前にたくさんの女性グループが我先に乗り込み、自分たちで座席を回転させ、早速菓子などを取り出すのだった。私はホームで笑い出しながらその様子を眺め、ビールを飲んだ。 |